けんかえれじい

鈴木隆 角川文庫 1982年

 いわずと知れた名作。
『悲歌(えれじい)といっても、詩情あふれる序奏のようなものはない。さっそく喧嘩の本題にはいりたい。』
 冒頭のシビれる一文から展開されるカトリック教徒・南部麒六の喧嘩修行は岡山二中のOSMS団から始まり、会津喜多方に流れる。
 一巻の半分までが旧制中学時代、残り半分は上智・早稲田の学生時代に児童文学に惹かれていく姿を描く。二巻は軍隊時代にはいってからのお話、陰惨な舞台ではあるがどこかユーモラスな筆致で麒六の喧嘩修行を描く。岡山で麒六の喧嘩修行の初代の先生となるスッポン氏、喜多方で巡り合う金田忘哉、軍隊時代に師と仰ぐ新貝一郎兵衛と麒六を取り巻く個性あふれる登場人物も素敵だ。

 そんな麒六が淡い(?)思いをはせるのは、こちらは敬虔なカトリック教徒・道子さん。詩情あふれる序奏はなくとも道子さんとの話はリリカルにならざるを得ない。道子さんが『キロクちゃん』って呼びかけるのがいいのだ。
 手元にある角川文庫版は1982年9月発行、とすると弘前で購入したものか。和田誠の装丁イラストおよび解説つき。
 
 北溟寮に縁がある鈴木清順監督で映画化された(1966年)。主人公に起用されたのは当時22歳の高橋英樹で、少々トウが立った麒六である。映画版は原作にはないシーン、すなわち喜多方を訪れる道子さん(浅野順子)と麒六の哀しく・美しく・はかない別れを描いたあと、麒六と北一輝の会津での一瞬のすれ違い、そして226事件が勃発した東京へ麒六が向かうところで本映画は唐突に終わる。北一輝と絡むカフェの女給(松尾嘉代)が妖しく美しい。鈴木清順らしい映像と評されているようである。
 さらに1973年、NHK少年ドラマシリーズで再映像化、このときヒロイン道子さんを演じたのは若き日の竹下景子。ただ、少年ドラマシリーズでは道子さん弾いたピアノの鍵盤に「熱き血をたぎらせた」「中心部」を叩きつけるというあの名場面はでてこないに違いない。

《2021/9/5》
おすすめ度 ★★★★★ 星5個

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


前の記事

紅萌ゆる

次の記事

ひかり北地に