八十八夜の閉店
さきほど、4階・81Pの長谷川さんから投稿があり。あの『八十八夜』が閉店。店主が亡くなられた、とのことです。いくつもの思い出に彩られたお店でした。
これまで40年以上の長きにわたって北溟寮生はじめ弘前の学生に語らいの場を与えてくれたことに感謝するとともに、大将のご冥福をお祈りいたします。
《画像は2003年当時の姿。81P(ということは長谷川さんは同期ですかね)の安田さんが旧サイトに投稿してくれたものです。こんな文章とともに掲載してました。》
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「八十八夜」の開店は80年または81年頃だった思われる。
そのリーズナブルな料金と多彩なメニューで一気に人気ナンバーワン居酒屋となった。
…てなことをいうと「流転」派の人からは文句がでると思うが、やはり一般的な人気では「はっぱち」でしょう。「はっぱち」は寮生だけでなく、ゼミやサークルのコンパなど一般の学生もよくきていた。その関係だろう、ここで教官の姿もちらほら見ることもあった。
バイトする寮生も多く、我々のころにはマツハシさん(通称「マッツァン」)がカウンターのむこうにいたものだ。マッツァンは長いこと理学部数学科に在籍していたが、卒業できたのやら?
82年2月、ある女の子とふたりで飲んだことがあった。あの旅行にでるちょっと前のこと。
長い寮生活のうちで、女の子とふたりきりで外で飲酒したのは後にも先にもこれっきりである。
なんてこった。こんな時に「はっぱち」になんか(失礼)いかなきゃいいのに、なんでここにしたんだろ。
別にふたりだからって気張ってねえぞ、と虚勢をはっていたに違いない。
…ちょうどその頃はやっていた歌のうたい出しの歌詞に彼女の名前が使われていた。「はっぱち」でむかいあっていた時、その歌が流れてきたのを思い出す。
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