第四十七夜 津軽ワンデーツーリング

We are windy people

アップルロード

まず指を折らなくちゃいけないのはやはりアップルロードだろう。この図の通りに走ると19.2キロ。単車の時速が平均40キロとすると、だいたい30分もあれば一周することになる。ただし、この場合、信号待ちとかも含めての平均40キロだからまあ、アップルロードの中ではずいぶんかっとんでいるに違いない。その名のとおり岩木山を望みりんご園の中を走る定番中の定番だ。ワンデーツーリングというか、その前の準備運動みたいなもの。アップルロードは弘前の南にある石川あたり(★)から、北は岩木山麓にむかって伸びている。我々がよく走ったのはその南半分。
図中の大きなヘアピンカーブ(★)の風景はまだ目に浮かんでくる。

 さて、今回貼り付けているはのおなじみグーグルマップであるが、試しに上の図を極限まで拡大してほしい。(または「大きな地図で見る」をクリックして別の画面を開き、拡大したらもっと見やすい)。
 各ルートの出発・目標点は、いずれも我が北溟寮の玄関の前となっているのだが……びっくりするのは再拡大したときの図である。なんと!!玄関前のロータリーはもちろん、食堂わきの自転車置き場が2列になっていることまで表現されているのだ。恐るべしグーグル、いや地図作成はゼンリンだ、恐るべしゼンリン…。

岩木山南路

岩木山の南麓を西海岸にむかって走るルートは、岩木山南路と呼ばれていた。アップルロード経由(★)で百沢に抜け、岩木山神社の前(★)を通過するとすぐにスカイラインへの入り口(★)がある。このスカイラインは夜になると管理人が消えて鎖だけで封鎖されるが、ちょっと持ち上げれば進入は容易だ。それを利用して夜、スカイラインをあがることもあったがそれはまた別の話。

 78年当時、岩木山南路はこのスカイライン入り口のちょっと先で未舗装路が残っていた。ただそれもまもなく舗装され、バイクで楽しむのにはちょうどいいワインディングロードとなっていた。

 鰺ヶ沢(★)の海岸ぞい続く国道101号線の道ばたには小屋がけの『焼きイカ屋』が並んでいる。ここの『イカ焼き』は天下一品である。ただ一日にどれくらいの売上げがあったことやら。観光客がドライブするには辺境すぎる。

 3年生の頃、ヤマムロがN360にサーフィンをつんで鰺ヶ沢の海岸に遊びにちょくちょく行っていた。その時はこの岩木山南路を走っていたのだろうか。確か、カリフォルニアエンジェルスのヘルメットをかぶるカジヤンも同行していたような気がする。ただし。そりゃあ確かに行き先は『西海岸』だが、同じ西海岸でもサンタモニカと鰺ヶ沢は大違いだったろう。

 同じ道を帰ってくるのはつまらないので帰りは岩木山北路にする。ただこちらは交通量もそれなりに多く、したがって信号もあり、あまり面白い道ではなかった。

 全長84キロ。

十和田湖コース

 たいてい日曜日とかの遅い午前中、飯村食堂あたりに朝昼兼用の『にんにく焼き定食』を食べに行ってから、ワンデーツーリングが始まることが多い。十和田湖まで行って帰って150キロ。時速30キロ平均で5時間、まあ夕方くらいには帰ってくる事ができる。ただ、平日の昼間に走るのならいいが、日曜日に走ると十和田湖周回道路とかでは渋滞にぶつかることも多い。さすがにここは天下の観光地である。それを避けるには、ユーキのように学校をサボって平日の昼間に走るのが正解なのである。

どうしてだったか覚えていないが、ブンのGL400(通称ブンバイ)を借りて、ヤマムロをタンデムシートに乗せて十和田湖までいったことがある。マルヒの愛車GX250は非力でタンデムで十和田にいくのはちと辛かったのか。

北溟寮画像資料館には、83年頃おこなれていたという十和田湖一周レースの模様が写真に残っている。

津軽最深部・竜飛

 第三十一夜「雪」でも触れた太宰治の名作『津軽』にはこんな一節がある。
「ここは、本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えているのである。 ここは、本州の袋小路だ。読者も銘記せよ。諸君が北に向かって歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、 必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、 そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。」それが竜飛だ。

上掲の図は、途中、五所川原・金木といった津軽の地方中心都市を通過するルートになっているが、木造を抜けていって西海岸ぞいに走るといったバリエーションも考えられよう。前者の「津軽鉄道沿いコース」の場合は「斜陽館」に寄り道をすることもできるし、後者の「七里長浜コース」だったら遮光器土偶で有名な亀ヶ岡遺跡を通ることになる。
 中世には貿易港として栄えたことが信じられないくらいさびれた十三湖を越えれば小泊はすぐだ。ただし我々が北溟寮にいた80年代初頭にはこの小泊から先、日本海沿いには道はなかった。いったん陸奥湾側にある三厩にぬけなくてはならなかったのだ。そう、冒頭に引用した「外ヶ浜街道」だけが竜飛に -すなわち本州の袋小路に- いたるただひとつの道だったのである。

歌に歌われた竜飛岬には灯台が建っているのだが、それよりさらに岬の先端にはなんとも不似合いな自衛隊のレーダー基地があった。天気がよければ遠く松前半島を望むことができる。あらためて陸側を振り返ると見晴るかす斜面には場違いなくらい多くの建物が並ぶ。それはトンネル工事のため。当時はまさに青函トンネルを掘削中であり、竜飛は一時的な人口増のブームの中にあったともいえる。

イラン革命に続く1979年からの第二次オイルショックの際、不要不急のガソリン消費はやめよう、と日本中のガソリンスタンドは日曜日を休業とした。弘前からこの津軽最深部ツーリングを敢行すると、50CCなどのタンクが小さいバイクはいかに燃費がよかろうとも、途中でガス欠をおこす恐れが十分あった。母艦イタモトのサニーを同行するか、あるいはホースをもって友達のバイクからガソリンを分けてもらったりしたものだ。

八甲田縦断

 竜飛コースと同じく、さすがにこのコースは昼頃出発だと寮の戻るのは真っ暗になってしまったろう。十和田から八甲田に、青森を代表する観光地巡りのコースである。一番いい季節といったら紅葉を楽しむことができる秋だろうか。それともゴールデンウィーク頃の「雪の壁」の季節だろうか。春まだ積雪を残す八甲田にロータリー車がわけいり、道路の雪だけをかいて、道の両側には高さ3メートルほどの壁をつくるのである。

(※下記のマップ、八甲田の核心部 谷地から酸ヶ湯の間に なぜかルート設定できません。)

 途中にある有名な酸ヶ湯温泉は混浴であったが、残念ながら在学中この湯につかった記憶はない。

(March 2, 2009 )

◆”We are windy people”は北溟寮バイクツーリングクラブの合い言葉です。
◆Googleとゼンリンはすでに関係を絶っています。そのせいかどうかわかりませんが、マップ上のロータリー、自転車置き場の表示は以前とはちがっているようです。

◆この第四十七夜をもって旧サイトに掲載されていた『千夜一夜』の原稿がつきました。これ以降は新作となります。

《2024/1/3》

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