第四十八夜 タワケのおっさんのこと
また会う日まで
こてこての大阪人・ナカムラさん
わたしが北溟寮でほぼはじめて顔をあわせた人物がこのタワケ氏=ナカムラさんであった。『第一夜 はじまりの日』)
タワケ氏の名付け親はマルクマことクマさん、当時はやっていた『東大一直線』(小林よしのりの出世作である)にでてくるキャラクター多分田吾作《たわけ・たごさく》に風貌が似ているから、というのが理由だった。ナカムラさんご本人はまったく不満げだったが。わたしたち下級生はナカムラさんのことをタワケのおっさん、またはタワケ氏と呼んでいた。ナカムラさんは農学部在籍で大阪の出身。わたしの同室であったウータン氏が和歌山の出身。北溟寮では少数派だった同じ関西人として、ナカムラさんはウータン氏とわたしが住む116号室にもよく出入りしていた。
ナカムラさんは極端な下戸であった。いちどどれくらいなら大丈夫かと、お猪口を逆さにして高台(こうだい)の部分に一滴ずつ日本酒をいれて試す、というしょうもない実験をしたことがある。彼は最初の一滴だけで顔を真っ赤にしてダウンした。だから出身の時などはまるで酒を飲まず飲むふりだけをしていたことになる。
1階アホ連
ナカムラさんはクマさんと同期で、わたしよりひとつ学年が上。ナカムラさんとは違いクマさんとわたしは大酒のみだったが、なぜかこの3人はウマがあった。ウマがあった3人が結成したのが「1階アホ連」である。寮祭の時に《利きたばこイベント》を企画実行するくらいしか表だった活動はしなかったのだが。1階階段脇にあったスペースに陣取って机を置いた。用意したタバコは《ハイライト》《ピース》《セブンスター》《チェリー》の4種類。一回100円くらいだったかなあ。アイパッチで目隠したお客さんに1本ずつ手渡して都合4本タバコを吸ってもらい銘柄を当てさせる、という趣向だった。みごと全種類正解した場合はお好きなタバコ1箱、残念賞は《ゴールデンバット》、存外、みんな楽しんでやっていた。アホ連の3人は半日でヤニだらけなっていたが。
北溟寮のバイク時代の夜明けである78年の夏休み、クマさん・ナカムラさんのふたりは原付バイクで北海道にツーリングにでかけた。途中暴走族のテントに泊まったりしながら、札幌でカジヤン、十勝・音更町でボーヤミウラの家に寄ったりしてドタバタ騒動を繰り広げたそうな。ナカムラさんはその後、原付にて大阪までの帰省を敢行。途中バイクで居眠り運転をして転倒す、などの話題をふりまいた。(この両名の北海道ツーリングに刺激をうけてわたしは次の年の夏休みに北海道ツーリングにでかけることになるがそれはまた別のお話『第四十夜 夏休みの思い出』。)
その78年の夏、松本で親にバイクをせびって買ってもらい、わたしは弘前に戻った。これでアホ連の3人にバイクが揃い、9月の試験休みに青森県一周ツーリングを計画した。まずは弘前から白神山地をかすめる弘西林道を走り深浦にでる。そこから西海岸を北上し・十三湖の先を三厩に抜け龍飛崎に。そこから南下、青森の次に八戸を回り十和田湖をかすめて帰ってくる、概算では最低でも2泊は必要だ。白神山地が世界遺産になる前、弘西林道は全てダート、クマさんのバイクはゼロハンながらスズキ・ハスラー、ナカムラさんはホンダ・R&P、なのにわたしのバイクはヤマハ・GX250という普通のバイク、これで50㎞はあろう未舗装の林道にでかけていったのだから若いということは素晴らしい。高校山岳部あがりのわたしがガスクッカーとコッヘルを準備、一泊目は林道途中の沢のほとりでたぶん道路工事の際に作られたと思われる半壊した小屋をみつけそこに潜りこんでシュラフを広げた。夜中にドスンッという大きな音ともにガクンと小屋が揺れ3人とも、すわっ熊か?!と飛び起きたことを思い出す。人間のクマさん(念のため、実はクマさんの本名は 熊さん という。あだ名ではない)はこわくないが本物の熊はこわい。ただし、この時の衝撃は熊が小屋を叩いたのではなく、1978年に記録された《深浦群発地震》のひと揺れであったようである。一行3人はパンクも転倒もすることなく無事西海岸にぬけ舗装道路を順調に青森むかったが、そこでクマさんがスピード違反で捕まるというアクシデントが発生、これに気分を害し途中挫折し八戸までいかずに弘前にもどった。
冬休みにはアホ連はうちそろってわたしの実家の松本に結集。冬の松本城を楽しんだり、白馬・遠見尾根にスキーにいったりした。そのときお城でわたしが撮った写真が今でも残っている。松本城には主天守閣と乾小天守のふたつが並んでいるが、大きな主天守閣の前にクマさん、小さな乾小天守の前にナカムラさんがちょうどおさまり、こっちをむいて笑っている。クマさんはこのあと「2人の人間の大きさの違いが天守閣の大きさによく現れているんですよ、ゲシゲシ」とからかっていたものだ。
また会う日まで
その後ナカムラさんは寮をでて近くに下宿したが、ちょくちょく寮に遊びにはきていた。留年しそうだという話も聞いた。
そんな81年の秋、土曜日の午後だったと思う。生協の食堂で昼飯を食べていたら、だれかが「ナカムラさんが亡くなったみたいだ」と教えてくれたと記憶している。信じられなかったわたしはとりあえずバイクで寮に戻った。そこで他の寮生から、どうも居場所は大学病院らしい、と聞いてイタモトとふたりで在府町にむかった。
大学病院の裏手からはいったところにある小さな部屋にナカムラさんのご遺体は安置されていた。見覚えのあるネル生地のシャツを着て青白い顔をして、いつもの小柄な身体がもっと小柄に見えた。死因は自殺だった。信じられなかった。
ナカムラさんのお父さん・お母さんは無教会派の流れを組むクリスチャンと聞いていた。数日後、棺にはいってしまったナカムラさんを大阪からきたご家族と、幾人かの寮生がお見送りした。
神ともにいましてゆく道を守り
天の御糧もて力を与えませ
また会う日まで、また会う日まで
神の守り、汝が身を離れざれ
荒野を行く時も嵐吹くときも
行く手を示して絶えず導きませ
また会う日まで、また会う日まで
神の守り、汝が身を離れざれ
弘前の火葬場の煙突から青い空に煙が流れていた。
何日かしてナカムラさんが首を吊ったという場所にクマさんとバイクで行った。弘前の南方の久渡寺近くの丘の上であった。遠く弘前の町並みが見渡せた。あの無類の恐がりだったナカムラさんが夜中にこんな場所でひとりいたとはとても信じられなかった。
寮で同室だったカジヤンは、ナカムラさんが亡くなる数日前、桔梗野にあったナカムラさんの下宿を訪ねていた。でも、その時はなんら変わったところはなかった、という。下宿の部屋を片付けても遺書などは何もでてこなかった。
残されたナカムラさんのバイクは静岡にいた彼の弟さんに送ることになった。クマさんがあのホンダ・R&Pに乗って弘前の駅の横にあった日本通運までもちこんだ。ナカムラさんにホントにサヨナラする気がした。クマさんとわたしはわたしのバイクに二人乗りして寮に戻った。アホ連は2人になってしまった。
約束
まだナカムラさんが寮にいてわたしが一年生の時だ、ある冬の日の午後、なぜか2人だけで話をした事があった。CCRのレコード《コスモスファクトリー》のジャケットが飾られていた119号室。死についてナカムラさんと話したのだ。
ナカムラさんは、当時2階に生息していた創価学会の信奉者とよくやりあっていた。『アイツら、ほんま信じてんねんて』とコテコテの関西弁でナカムラさんはわたしに言った。
それから何故か《死》の話になった。『死んだ後、あの世ってあるんかいな』っていうナカムラさんに一応唯物論者だったわたしは『そんなもんないよ』って反論した。『でもな、誰もわかんないちゃう、死んだあとの事やし』っていうナカムラさんとその時約束した。
どちらかが先に死んだら、そしてもし次の世があったら、それを告げに来る、と。
ナカムラさんはまだわたしの前に現れていない。でもまあ、なにかむこうにはむこうの事情があってでてこられないのかもしれない。ナカムラさんの時計は24歳で止まったままだが、わたしはもう65歳を超えた。むこうでまた会う日、白髪になったわたしを見て、彼はなんていうんだろうか。そこにはシモヤマもタカナシもコダトもいるだろうか。
(Jan 14,2024)
◆1978年当時のタバコ価格。ハイライト120円 ロングピース150円、セブンスター150円、チェリー150円、ゴールデンバット40円
“第四十八夜 タワケのおっさんのこと” に対して4件のコメントがあります。
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目黒です。楽しみにしていた久しぶりの新作です。
あの頃の寮生にとっても忘れられないことのひとつが、今回のテーマですね。
青春とは、希望と挫折、恋と孤独、生と死、そんなことを考えさせられた出来事でした。
わたしは、ナカムラさんが、亡くなった前日の夜から寮に来ていて、
1Fの部屋でみんなとお酒を飲んでたように記憶しています。
そこで、今回の後半に書かれていた死後の世界の話をされていたような。
そしてバイクで帰られ、亡くなったような。わたしの記憶が混濁しているのかなぁ。
多分、わたしの記憶違いですね。さて、今後の新作に大いに期待しています。
もう40年も前の出来事ですから、お互い、記憶が混濁してるのかもしれません。今回はわたしが覚えているように書かせてもらいました。
なお、次回はくだらないお話になる予定です。
(ひ)
うっかり仕事中に読んで、涙が止まらなくなりました。どうしてくれるんですか。まるひのおっさん。
生のエネルギーが充満して、死ぬことなんて、ちっとも意識しない日々でしたが、ところどころにそれは隠れていましたね。
しみじみといい話でした。
ありがとうございました。
この出来事の少し前に四階のオナギさんが亡くなるという事もありました。若いときに直面した《死》は心のどこかに潜んでいますね。
(ひ)