第三十四夜 洗濯闘争

最後まで戦うぞ

はじめて親元から離れて…

札幌や仙台でひとり予備校生活をした者を除く寮生の大多数は、親元から離れた生活を、寮ではじめて経験することになる。親元…それが何を意味するかというと、炊事・洗濯・掃除はたいてい誰か家族がしてくれた、ということなのだ。

 このうち「炊事」については、寮では朝夕2食にありつけるし、昼飯は生協の学食で食えばいいのだから、とりあえず心配はない。
 また、掃除についても廊下・トイレなどの共同部分は寮にいる作業員が担当する。寮生がする掃除といえば、自分の部屋の内部(もちろんしない人間はめったにしないが)と年に2回ぐらい順番で回ってくる風呂掃除くらいなものだ。
 とすると…残る問題は洗濯であった。

洗濯部屋の構造

 北溟寮の洗濯室は一階の西の端、お風呂の隣にあり、そこには二層式の洗濯機が4台ほど置かれていた。床はコンクリートでメスキ板(*下記注参照のこと)がおかれ、はいって左手には流し台と蛇口がついている。
 右側の奧のドアの先は、乾燥室、ということになっていた。しかし、この乾燥室の中にあった二本の洗濯ロープには常にものすごい量のシャツだのズボンだのがかかっていて、誰がいったい使っていたのかわからない。
 少なくとも私は使用したことがなかった。

 入口からまっすぐのところには、裏庭に出られるドアがついており、その先には屋根のあるもの干し場があった。
 軍隊流にいうと「ぶっかんば」ですね。

洗濯場のにぎわい

 この洗濯場、特に週3日の風呂日に賑わう。
 なぜかというと当時北溟寮では「合成洗剤追放運動」がなかなかに力を持っていて、洗濯に石けん洗剤を使用する人が多かったからだ。

 この石けん洗剤というやつ、いまのものはどうか知らないが、当時のものは冷たい水では溶けにくく、いったん洗濯機1/3ぐらいのお湯で溶かしてから水を加える。前述の流しにはお湯用の蛇口がついていたがここからお湯がでるのは風呂がある週3日だけなのである。

洗濯闘争に決起

 洗濯はしないですむのならそれに越したことはない、と、ご多分に漏れずマルヒもそう思っていた。そこで汚れた服・下着などを部屋においてあった段ボール箱にづんづんと詰め込んでは、せっせとためることになる。他の寮生より多めの下着・服をもっていたが、それでも、いつかは洗濯をしないと着る服がなくなる。そうですねえ、1ヶ月に一回ぐらいだったですかねえ。
 だんだん着る物がなくなってくると、適当に日にちをでっちあげて「6.24 洗濯闘争に決起せよ!」とかいういいかげんなポスターを作成しては気持ちをもりあげた。
 洗濯闘争まで下着が持たないときもあった。白状すると、ほんの一二回だけだが、他人のパンツを借りたことがあった。そのときは、さすがに自分でもやりすぎだと思ったものだ。

 さて、いよいよ当日である。もちろん雨天順延で晴れの日にしかやらない。
 まずは、アジ演説である。ひとりでやるのだが。
『本日ゥ、結集されたァ、戦う学生諸君ッ!敵汚れ物はァ、大量にみえてェ、実はァ単にィ、張り子の虎にすぎないッ!われわれはァ、断じてェ、このことをォ、最初に確認したいィ。……』
 それから、シュプレヒコールである。ひとりでやるのだが。
『われわれはァ、本日のォ、洗濯闘争にィ、勝利するぞォ!』
『われわれはァ、最後の最後までェ、戦うぞ!戦うぞ!!戦うぞ!!!』

 段ボール箱にして5箱くらいはあるんだから、洗濯機だって5-6回まわさないとおいつかない。幸いにして5年間にわたり一階の住人であったから、部屋から洗濯場への往復は楽であった。洗い終わった服は、夏の間は裏庭のもの干し場に、冬は部屋のなかにはったロープにつりさげた。ところが洗濯闘争をやりきると、パンツを干すハンガーが足りない。マルヒはブンがもっていた大量の洗濯ばさみがついたハンガーのことを『偉大なパンツ干し』と呼んでおり、彼から借りるのを常套手段としていた。
 乾いた後の服を畳んだ記憶はまったくない。そのままベッドの上の木製ロッカーのなかに放りこんでいたに違いない。

サルマタケ

 高校生の頃、愛読していた松本零士の『男おいどん』にはサルマタケというのがでてきた。大学を目指して東京にでてきた九州男児・大山昇太は、下宿の押入に大量のしましまパンツをためこんでおり、そこにはサルマタケという面妖なキノコが生えている。
 あれは2年生の頃だったか、バイクでツーリングから帰った後、雨に濡れた靴下を一足、ポリ袋にいれたまま片づけず、ベッドの下に投げ込んでおいたことがあった。何ヶ月かしてとりだしたその靴下には、なんと!あの男おいどんのマンガのようにキノコが生えていたのである!マンガのサルマタケのように太くはなく、ひょろひょろしたエノキみたいであったが。
 マルヒはそれをクツシタケと名づけたが、さすがに大山昇太とそのトリさんのように、食する気にはなれなかった。

コインランドリー

 会社にはいって初めてコインランドリーなるものを体験した。この時、全自動洗濯機というものの楽ちんさを知った。
 いま北溟寮生の洋服を洗っているのは、やはり全自動洗濯機であろうか。

(May 19, 2002)

◆「メスキ板」というのは、なんと、信州の方言でした。普通は「すのこ」というらしい。齢六十にして初めて知りました。
◆2002年にこの記事を書いたあと、2003年に北溟寮を訪問している。すでにこのときは全自動洗濯機になっていました。洗濯場の流しのところにマンガがぎっしりと置かれていました。物干し場の画像はその時のもの。
◆さらに2013年に北溟寮を訪れたときには、マンガは消えており《洗濯機利用者表示版》がありました。

《2021/6/6》

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