第三十五夜 電化製品その2

あのころ寮にあったもの

最強の(?)電化製品

北溟寮最強の電化製品とはなにか。『第十二夜 電化製品』のなかでテレビと冷蔵庫について書きました。でもテレビも冷蔵庫も、寮にあった電化製品として、数では少数派に過ぎません。
では70年代末期に、北溟寮でよく見かけた電化製品といえばなにか。それは……電気ポットでした。

←←←こんなやつ。
 鈍く光るアルミでできたポットは、高さ20センチくらいでプラスチックでできた取っ手がついていた。ポットといっても保温機能はなく、お湯を沸かすだけの単機能である。電気湯沸かし器というのが正解かもしれない。

 寮生がこれを使うときは、
  (1)お湯を沸かしてコーヒー・紅茶を飲む
  (2)お湯を沸かしてカップ麺を食べる
  (3)水をいれてウィスキーの水割りに使う
 これくらいだったろうか。
 しかし、(2)の機会は、まれ。インスタントラーメンならともかくカップ麺は割高なので、寮生が食することはあまりなかったように思う。(3)ときたらもっと希で、なにせウィスキーを飲む機会があまりない。
 すると、ただお湯を沸かしてコーヒー紅茶を飲むためにあのポットをみんなして買っていたのだろうか。今から思えば生協の陰謀だったのかもしれない。なにも知らない新入生に対して『学生生活の必需品』とかいって売り込んでいたんだろうか??ともかく、わたしでさえ、このポットを持っていた。
 ただし北溟寮を卒寮以来、これを見たことがない。

第2の電化製品

 ポットに次ぐ普及率をほこっていたのは、電気コンロという代物だ。これも卒寮以来とんとお目にかかったことがない。直径30センチ高さ3センチ位の平たい円形で、ニクロム線がううねうねとくねっていて、スイッチをいれると真っ赤に発熱する、あれ、です。

今でも売っているんですねえ。
あの頃、寮でよく見たのはオレンジ色をしていたような。

 こいつの用途として第一にあげられるのが、なんと暖房なのである。
 北国・弘前にある北溟寮にはスチーム暖房があった。冬のはじめから春先まで、一日に2回スチームがはいる。朝は6時ぐらいから9時頃まで。夕方は4時ぐらいから夜10時ぐらいまで。スチームがはいっていく時に響く「カキーン・カキーン・・」という音も今は懐かしい。
 この暖房費はばかにならず、冬になると北溟寮の寮費は上がる。燃料はB重油だったっけ。寮生大会の席上でB重油の値上げうんぬんが議論にのぼったこともあった。世は第二次石油危機を迎えていた。
 スチーム暖房の大本は風呂場の裏側にあった(第一夜「はじまり」参照)。よって、はじめにスチームがいくのが洗濯場の隣にある114号室と101号室。そこから2階・3階・4階にあがった後、ふたたび1階に降りてきて115号室と102号室に達する。北溟寮を横から見ると、1階から4階まで上下に巨大なジグザグを描いて、西から東にむかってチームは回っていく。
 というわけで114号室の炎熱地獄と128号室の寒冷地獄ができあがる。
 114号室は一番最初にスチームの効果が現れ、一番最後まで効いている。128号室は反対に一番遅くに暖まり、一番最初に冷えこむのだ。
 とはいえ、建前上、寮生といえども昼間は学校にいっていることになっているので、スチームは前述のようにきられるし、夜のスチームがきれる11時なんていう時間は、寮生にとってはほんの宵の口。それから寒い弘前の夜がある。

 ずいぶん遠回りしたが、その結果、電気コンロが暖房に使われるのである。そのまた結果、しばしば、ブレーカーが落ちた。
 電気コンロについては暖房以外の用途でつかった記憶はほとんどない。あるといえば、やかんの中に迷酒・「弘前城」に代表される合成酒をいれ、直燗(じかかん)したくらいか。そうやってむちゃ熱燗にするか、コンパでの「出身」時以外に呑む酒ではなかった。いくら寮生とはいえ。

ベストスリーの最後

 北溟寮を伺う第三の刺客電化製品はオーブントースターであろう(なんのこっちゃ)。割合多くの寮室でみかけたものである。
 たまに誰かの冷蔵庫にチューブにはいったピザトースト用のペーストなんかがはいっていて、それからどこかの部屋で食パンを見つけだしたりして、これまた誰かのオーブントースターを使ってトーストしたりすると、まことに美味しかったのを覚えている。これにどこかの階から、その頃出回りはじめたスライスチーズなぞをのっけてトーストすれば、一大ごちそうであろう。
 農学部のホモツグのおっさんが、大学の農園でとれたというニンニクを大量にもってきたことがあった。どんな経緯だったか忘れたが、なぜか1階のカジヤンの部屋でそれを肴にして飲酒した。オーブントースターにアルミホイルを敷いてニンニクを焼くのである。ご存じのとおり生のニンニクは辛いものであるが、こうやって焼くとほくほくして甘い味がする。部屋にあつまった当人たちは、みな、このニンニクをうまいうまいと、大量に食っているのだからもう、嗅覚がマヒしている。
 翌朝、我ながら強烈なニンニクの匂いにまいった。同室のウータン氏は、私が起床したときには既に学校にいって部屋にいなかったが、昨晩の宴に参加していなかったから、隣のベッドの私のニンニク臭さに辟易したに違いない。

 パソコンもデジカメもCDもなかった。初代ウォークマンが発売されたのはマルヒが2年生のとき。ビデオデッキなどは高嶺の花のそのまた上にあった時代の話でした。

(July 2, 2002)

追記 Dec 28,2002

その後、この電気ポットにつき投稿がふたつ。しかもおふたりともその用途は同じ。
ひとつはサクライ氏より。
『電気ポット→ゆで卵作成につかいました。』
さらにコナカ妻氏より。
『電気ポットの使いみちですが,朋寮生の一部では,あれでゆでたまごを作っていました。毎週月曜の寮食(朝)は納豆卵(通称なったま)だったので,納豆だけ食べ,残った卵は部屋へ持って帰り小腹がすいた時に食べました。作り方はいたって簡単。水と卵をポットに入れて沸騰したらちょっと待つ・・・これで美味しいゆでたまごのできあがり!』
 ということで電気ボットの用途(4)ゆで玉子をつくる でした。

◆このときは《電気ポット》と書いていますが当然のごとく保温機能とかないわけで、これは《電気ケトル》というのが正しいのかと思います。現在《電気ケトル》というとTfalとかのずんぐりしたのを思い浮かべますかね。温度調整とかできたりしてあれはあれで便利そうです。
◆寮生の時マルヒが持っていた電化製品は考えてみれば、上記の《電気ポット》だけでした。テレビも冷蔵庫もラジカセもオーブントースターもウォークマンも持ってなかった。ミニマルな生活だったんだなあ、それに比べて今はどんなに電気製品を持っていることやら。

《2021/6/13》

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