2003年冬弘前紀行《兵藤編》①

ひょんなことから、冬の弘前に旅行することになったふたり。それぞれが、それぞれ感じたままに、ひとつの旅をつづります。

スノー・ヒロサキ・タイムスリップ・ジャーニー

the night before

ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみのなかにそを聞きにいく

-石川啄木-

 2003年の1月に入ってすぐ、このウェブにのせたコンテンツについて武藤からメールがきた。
「あの大学泊まり込みは80年の夏のことではないですか?」
 はて。武藤にそういわれてみると、大学本部に泊まり込んだのはいつだったのか?コツチダが牛乳パックにいれた日本酒をチュウチュウ飲みながら学長を糾弾したのはいつだったのか?20年の霧のむこうに霞んでしまって定かではない。

 「一月か二月の連休にでも弘前にいって資料発掘・宴会ツァーでもやりますか?」ふたたび武藤からメール。
 資料といえば寮務委員会室のなかだろうか。あの頃の寮務委員会の汚さ・乱雑さといったら並大抵じゃなかった。歴代の資料は散逸してしまったんだろうか?断片でもあるのだろうか?それに寮がもし建て替えになったらいったいあれはどうなる?
 3分ほど悩んで行くことに決めた。
 カミさんにも了承を得た。しかしカレンダーを見ると二月に連休なんかない。だとしたら飛び石の月曜日を有給休暇にあてて4日間。ヨシっと、その日のうちにホテルと切符を予約した。インターネットは便利である。

 弘前への経路に飛行機はまずかろう。ここは夜行列車しかあるまい。急行『つがる』なきあと弘前へ夜をひた走るのは寝台特急『あけぼの』、上野発である。

2003年2月7日(金)20時50分

 子供が遠足を待つように待ち遠しく思った。やっと2月7日金曜日の夜がきて、切符を握りしめた私は家の近くのJR駅にむかう。そこから上野まで小一時間。上野駅は、ターミナル駅の象徴である櫛形プラットホームこそ保っているものの、一歩改札から外にでると当時の面影もない。

Hard Rock Cafe
UYENO-EKI TOKYO

『Hard Rock CAFE』ハードロックキャフェ?トーキョー上野駅店?やるなあ、上野駅。

 午後11時までやっているという構内のしゃれた食料雑貨店でワインとチーズをしこみホームへ。ここで聞き耳をたてるも東北弁は聞こえてこない。やがて『あけぼの』がホームに滑りこんできた。B寝台ソロというのはいわば走るカプセルホテルである。列車の進行方向に平行に、真ん中の狭い通路を挟んで、左右に6つ二段にカプセルがならぶ。

2003年時はまだ定期運行されていた寝台特急『あけぼの』

 カプセルにはいってドアをしめる。荷物をベッドの端によせてごろんと横になった。ん?なんだろう、この感覚、妙にいごこちがよくて、しっくりくる、そうだ一人用のテントにはいったような気分だ。しかもテントと違ってコップを置くテーブルもあるし窓もある。

このときちょっと呑み過ぎ

 しばらくして検札にきた車掌さんのアクセントに津軽弁を聞いた。停車場で聞けなかった”ふるさと”の言葉だ。

 夜の闇の底を切り裂いて『あけぼの』がひた走る。ワインのボトルが空く頃、窓の外が白くなった。雪。『あけぼの』は、今のダイヤでは、昔のように山形経由ではなく、高崎から上越線を日本海側にぬけていく。だとすると”国境のトンネル”を抜けたのだ。

 読んでいた本を置き、カプセル内の明かりを落とす。大きめの窓の上半分、雪の野の上に星空が広がる。さっきまで夜空に飾られていたのはオリオンの三つ星とシリウスだったのに、進行方向が変わったのか、こんどは北斗七星が見えている、北溟に輝く幸福星が。

《2021/6/26 再録 ©2003 Takefumi Hyodo, ALL RIGHTS RESERVED》

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA