2003年冬弘前紀行《武藤編》②

ひょんなことから、冬の弘前に旅行することになったふたり。それぞれが、それぞれ感じたままに、ひとつの旅をつづります。

マルヒのセンチメンタルジャーニーに付き合うの記 二日目

三内丸山遺跡の象徴 掘立柱建物

 二日目はマルヒのたっての希望で三内丸山遺跡に言った。マルヒは縄文人が食べていた魚に強い興味を持ったようだった。シャーベット状の雪を踏みしめて縄文人たちの暮らしを二人で偲んだ。ただし、「雪上縄文祭」とやらが開かれていて、ただ騒がしい洋楽が流されていたのには、マルヒはえらくご立腹だった。赤米を炊いた御飯の「縄文定食」をマルヒはうまそうに食べていた。

 帰りの列車の中、窓から岩木山が見えた。マルヒはしみじみと「岩木山ってあんなに大きかったっけ。もっと小さいかと思ってたぜ」と、感慨深げに述べていた。そんな岩木山に触発されたのか、珍しく昔話をし始めた。

 「あそこを○○とドライブしたんだよな」
 「○○と最後の食事をしたのが実は・・・・でさあ」
 「ヨーロッパ旅行に行ってる時に手紙をいっぱい書いたのにさあ、向こうで受け取った手紙は別の女の子からのだったんだよな」
 旅は男をセンチメンタルにするというが、まさしくそのとおりだと思った。

 その夜は弘前城に「雪灯篭祭り」を見に行った。昔、女の子と雪の弘前城に遊びに来たことを思い出した。

ライトアップされた弘前城

 暖冬の影響か雪灯篭の多くは解けてひん曲がっている。真冬の弘前の夜とは思えない温かさ。大手門をくぐって城内に入るころ、マルヒは昨夜の中沢先生たちとの飲み会でのある話題を急に思い出したらしく、なにやら真面目な顔で聞いてくる。

 「昨日さあ、『千と千尋の神隠し』の話をしたじゃん。あれさあ、俺も1週間ほど前にビデオで見たわけよ。そんであんま真剣に見てなかったから詳しいことはわかんないんだけどさあ、作者はやっぱりこういうことを主張するためにこういうキャラクターを作ろう、とかって考えてああいうの作ってるのかねえ。」
 昨夜の飲み会で、鈴木先生が『千と千尋の神隠し』の話題を出し、それに対してムトウが
「あの中に出てくる『顔無し』って何の象徴だと思いますか」
なんて突っ込んだもんだから、マルヒはそれが気になってたようだ。

卍は弘前市の市章

 「ダリとかの有名な画家が絵を書くときは、あんまここはこういう意味でとかって考えないと思うんだ。でも映画はやっぱそうやって作るのかねえ」
 その顔を明らかに仕事のことを考えている顔だった。ゲーム作りで何か壁のようなものにぶち当たっているのかもしれない、とムトウは少し深読みをしてしまった。その後、「多義的」だの「両義的」だの、「時間芸術」だの、「時代精神」だの、なにやら小難しい議論が二人の間で交わされた。二人とも少し疲れていたのかもしれない。
 そこでの結論的なものは
「ある天才が、ある意図性をもって象徴的な表現を生み出すのではなく、時代精神のようなものを敏感に感じ取り、それを無意識のうちに的確な象徴によって表現しうる存在を天才と呼ぶのであろう。多くの人々はそれを見て始めて時代のうねりを感じ取るのである。」
というようなことになるのだろうか。とにかくムトウにとっては久しぶりに面白い議論ではあった。
 この雪灯篭祭においても、大音響で「エブリ・リトル・シング」の歌が流されていて、マルヒはたいそうご立腹だった。

下宿 兼 喫茶店バムセ

 お城からの帰りに旧弘前市立図書館、我々にとっては喫茶店バムセであった建物を見た。外装などがぴかぴかにお色直しされていたが、紛れもなくそれはバムセであった。
 すっぱいキリマンジャロを飲みながら、女の子に別れを告げられたバムセ。落書きノートの中に懐かしい先輩の意外な言葉を見つけて驚いたバムセ。卒業間近のとき、ずっと降る雪を見つめていたバムセ。今は、本来帰るべきところに帰ったのであろうが、喫茶店であり、下宿屋だったころのバムセがやはり本当のバムセだったように思える。

 この日は郷土料理の店「菊富士」で夕食をとり、ホテルに帰った。

《2021/6/21 再録 ©2003 Osamu Muto, ALL RIGHTS RESERVED》

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