2003年冬弘前紀行《兵藤編》③

ひょんなことから、冬の弘前に旅行することになったふたり。それぞれが、それぞれ感じたままに、ひとつの旅をつづります。

 スノー・ヒロサキ・タイムスリップ・ジャーニー 

aomori

マッチ擦るつかの間海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや

-寺山修司-

 10時過ぎに駅にむかってたらたら歩いていった。きょうは北のまほろば-三内丸山遺跡を見ようというわけである。昨晩、一昨晩の飲み過ぎで少々調子が悪い。 
 駅にはちょうど青森にいく特急が止まっていたので飛び乗った。きょうも暖かい。冬の津軽には珍しい青空が広がって岩木山が大きく見える。

 青森駅の駅前は弘前ほど変わっていないように思えた。三内丸山方面行きのバスの時間まで多少あるので海のほうに歩いていく。岸壁に往時の青函連絡船・八甲田丸がメモリアルシップとして公開されていた。ふたりでしばし考えて見ることに決めた。展示されている資料はたいしたものではないが、エンジンルーム・艦橋とかはさすがに生の迫力がある。雪のため冬季はデッキに出られないようになっているのが惜しい。

「マッチするつかの間海に霧ふかし…って全然霧なんか深くないぞ…これじゃ」
と冬晴れの津軽海峡にむかってつぶやいてみる。

 昼食は三内丸山で縄文ラーメンを食べよう、ということにしてバスにのった。免許センター行きのバスで20分ほど揺られると遺跡の前につく。馬蹄型のすごい立派な建物が建っていた。縄文時遊館というのだそうだ。ただし残念ながら縄文ラーメンはなかった。

雪の中の三内丸山

 雪の野原に転々とわらぶき屋根の高床式の建物や、竪穴式住居がみえる。それから三内丸山の象徴たる6本の巨木も。

 ぽつぽつと歩きながら、武藤が尻上がりの岐阜弁でいった。
「最近、もんかしょう が総合学習ってのをいってきてるんですぅ」
「もんかしょう?」
「ええ、文部科学省、文科省ですよ」
「ああ、そうだ文科省ってなったんだよな。てことは文部官僚も今は文科官僚ってかい。なんかしまらないねえ」
「その文科省から通達があって、その中学生に自由研究みたいなことをさせるんです。それが総合学習の時間。つまり生徒は、なにか自分でテーマを決めてレポートにまとめて発表したりするんですね」

 武藤がいうには、クラスの10パーセントの子供はとても楽しそうにその総合学習とやらをおこない、立派な発表をするのだという。ところが、残りの15パーセントはなんとかこなし、全体の78パーセントは ダメダメ だとか。だいたい何をテーマにしていいのかわからないんだそうな。 
 テーマを決められない子供たちに武藤が
「君たちがいちばん興味あるテーマでいいんです」というとバスケット部に所属している子供は毎年毎年NBAだってことになってしまうんだそうだ。

 ところで、武藤の勤務している学校は岐阜県武儀郡洞戸村という山のなかにあり、ちょっとした図書館に行くにもバスで何十分という場所だ。いきおい調べるにはインターネットということになる。結局できてくるレポートは通り一遍の選手データを並べただけに終わるのだ。
 「例えば東京の話だけど、先生が『○○くんのお父さんはテレビ局でスポーツ担当してるから、今度きてもらってお話を聞きましょうか』とかしたりするんですって。でもね、ボクのところじゃそうはいかないでしょう?」
 なるほど。
「文科省の優等生が頭で考えただけの机上論で教育政策を展開するから、こういう結果になると思うんですぅ」

 いったん会話がとぎれたあと、ふと、武藤が思い出したようにいう。
「ぼくらは北溟寮で総合学習をしていたのかもしれませんねぇ、例えば兵藤さんは国家予算がどんなふうに組まれるか知ってますか?」
「いんや、今でも知らない」
「あれはですね、…となってるんです」
「それが溟寮となんの関係が?」
「それはですね、例の水フ公務員化運動の頃、基調を書くことになって、必死に調べたんですよ。どんなふうに政府の予算が決まってくるのかってこと。だからボク知ってるんです。あれってボクらにとっては、物事を調べて分析して方針を決めるっていう総合学習をしていたのかなぁって」
「なるほどそうかもしれないなあ。北溟寮は武藤にとっては学校だったと」
「まるちゅんとかミンセイとか党派の連中は楽だろうなって思いましたよ。だってあいつらは党の意見っていう唯一無二の正義っていうかご託宣があって、そのことをそのまま書いたり言ったりすればいいだから。少なくともボクらは自分の頭で考えて、自分で言葉にしなくちゃいけなかったでしょう?」

 そうだな。たとえ稚拙でも、今から考えるとどっか結論がおかしくても自分の頭で考えて、自分の言葉にしていたかもしれないな。北溟寮に生活している頃は。今のような生活にまみれる前は。

 この夜は弘前にもどっては雪灯籠祭りにいくことにした。どうもマイナーでしたよね、このイベント。相変わらずマイナーでした。

《2021/6/28 再録 ©2003 Takefumi Hyodo, ALL RIGHTS RESERVED》