第十一夜 諸党派

自治組織の説明、および各派登場

寮長

聞けばブンが寮長選挙にでるという。
 このブンという男、名門・都立日比谷高校から現役で医学部にうかった男だから、秀才であることは間違いない。マルヒと同期で入寮し、観桜会の後だったか、さんざんに酔っぱけて寮のトイレの個室に閉じこもった。そのあげくドアを中からどんどん叩き、
 『おれは日比谷の××だぞぉぉ。ここからだせぇぇぇ』(××は本名)
と叫び続けたというエピソードを持っている。もちろん、ドアの内側から鍵をかけていたのは当のご本人であるが……。
 竹を割ったようなストレートな性格、親分肌で面倒見もいいのだが、大風呂敷を広げすぎるところと少々見栄坊なのが玉に瑕。ま、典型的な江戸っ子なのかもしれない。
 1階のどんぱ(同期生のこと。北海道弁らしい)であるイタモトやカジやん、マルヒは『つまらないからやめなよ』と止めたんだが、本人の決意は固かった。しかし、このブンがちゃんと寮長に当選して、そこから寮務委員会が変わっていったのだから物事はわからない。
 なにせ、ブンの後はお調子者の呼び声がたかいコツチダまで寮長をやる始末。コツチダはマルヒと同様、一高から八高までの寮歌を歌える御仁。さらに海軍が大好きな軍艦野郎で、立命館大学を中退して北大に雄図を馳せたが、あえなく轟沈、弘前にひっかかって北溟寮入り と あいなっていた。富山・高岡から来ている彼の出身は、『えぇっちゅう とやまのはんごんたん、はなくそまるめてまんきんたんっっっっ、、しゅっしーーんっっ 富山県立石動高等学校っっ』と続く。

 ……と、違った、北溟寮の政治組織と諸党派の話だった。
 北溟寮には最高議決機関たる寮生大会の下に執行組織の寮務委員会をおいていた。寮長、副寮長をはじめ書記局、各部局(会計部、炊事部など)は半期ごとの全寮選挙で選ばれる。寮務委員会は入寮生の審査・寮の運営・寮費の徴収管理・学校との交渉・他寮との外交など公式的な政治活動をすべて担っている。

寮務委員会室に残された議事録など歴史的資料(2013年)

階長

 また、寮長・寮務委員会とは別に1階から4階までの各階に階長がおかれる。階長というのは、いわば《寮のフォークロア》を担当する役目である。乱暴な物言いをすれば、コンパや寮祭のことだけを考えていればいい、といえば当たらずといえども遠からず、だ。
 たしかに階長は寮長同様に半期に一度各階の階生大会で立候補・多数決という形で選ばれる。寮生大会の前には諸議題の基礎討論をする場である階生大会を主導する立場であるし、寮務委員会とは別系統の階長会議という機関もある。しかし政治的に重きをなす役職ではないので各党派は手をださない。
 そんな事情から階長職は「だいたいあいつだろう」と改選前に階内で世論形成がされる。逆にいえば突拍子もない人物が階長に立候補することなどない。いってみれば各階ともその階で名前がとおった、ということは全寮的にも名前がとおった《有名人》が階長になる。
 ところが寮長は違う。このポストは政治的にみても重要で、ここを押さえることはすなわち寮自治会を押さえるということだ。とはいえすでに《政治の季節》は遠く、78年の段階では大部分の寮生の無関心のうえに《民青》が寮務委員会を牛耳っていた。

民青

 民青は学生運動のなかにおいては超大国の保守派で、《親方代々木》、教員や職員にも支持者があるため、ま、仲良きことは美しきかな、だ。なんのこっちゃ。
 この民青が全寮連、県寮連、弘大寮連なるものを主導していたが、いかにばかばかしい事をしていたかは、また機会があれば書きます。(日本共産党《日共》の本部が代々木にあることから、彼らのことを代々木と称する。念のため。)
 寮長はたいてい2年生がなる。民青は新入生の中で「これは」と思う寮生を毎年ひっかけて(オルグして)、立候補させ、たいてい当選させる。マルヒが最初に遭遇した寮長もこのタイプで、いたって気がいい人なのだが、2階のY氏、1階のミンキさん、3階のトッツァンなど民青の大物に頭があがらない。きっと寮では寮長でも、学生細胞(などという古くさい言い方はしないか??さすがに)においては下っぱなんだろうな、と。
 ブンの立候補と当選という事態にあって当初は代々木も彼を支持していたふしがある。マルヒら1階の口さがない連中も《ミンブン》とかいってからかったものだ。民青連中はブンのことを最初はいつものようにあやつり人形に、あるいはできがよければ組織に引き込もうぐらいに考えていたのかもしれない。ところが寮の炊フ公務員化運動(これを称して《炊公化運動》とぞいふ)、10.20(ジュッテンニイマル)事件などを通して本人の資質がでたというかなんというか、あっというまにブンはラジカル路線に変わってしまったのだ。

協会派

 かたや、北溟寮に古くから根をはっていたのが《社会党協会派》という面妖な連中だ。なぜ学生にそんな影響力を保持していたのかよくわからないが、印象からいえば日共の連中よりもっとごりごりのマルクス主義者のようではあった。さすが労農派直系の向坂逸郎主導の社会主義協会である。
 4階を中心に繁栄しており、口の悪いコツチダがいうには、それぞれ違うことをいっているようでも根は一緒、だからきゃつらは《レンコン》だそうだ。
 とはいえ、アイちゃん、ミズエ、ヤマオカなど、民青の連中とは違って協会派はそれなりに例の『寮のフォークロア部分』でも人気がある--いわば階長的人材を抱えていたから当時の北溟寮生の世論をリードする場面も多々あった。
 結局、マルヒが2年になる頃は、寮務委員会はひとりふたりの民青シンパはいるものの、後はすっかりブンのようなノンセクト路線か、レンコン連中で占められることになり一気に北溟寮の状況は流動化していく。

中核派

 事態が流動化していけば、過激な意見もそれなりにとおるようになる。《中核派》の最長老はもう在寮8年目くらいに突入していたトヨタマさんだったから北溟寮には古くから足場を築いていたことになる。寮内に貼られたポスターもここのが一番うまいし、ビラのガリきりの技術もたいしたものだった。
 白ヘル姿で昼飯時に学館前でするアジ演説も定番、もっとも聴衆は寂しい限りだったが。
 学生運動が全国的に沈滞していく中、当時の中核派の最重要課題は、三里塚闘争と対カクマル戦だったと思う。(おっと、つい《カクマル》って書いちゃった。革マル派です)。
 この人たちが本気でやれば、大学との交渉とか泊まり込みとかはもっと迫力ものになると思ったが、ちっぽけな地方の国立大学寮の経済闘争などには、やはり本腰がはいっていなかったのではないか。
 とはいえ、彼らも同じ北溟寮生。カジやんにそっくりといわれたトヨタマさん、きれると怖いキノウエさん、ねちこい喋りのミドリヌマさんなど今後、数々のエピソードに登場するであろう。

第4インター

 ついでに《第4インター》のことも書く気になった。
 すでに寮内には第4インターは居住していなかったが、まるまるした体型で愛嬌のある笑顔のオガサカさんや、とぼけたパオーのおっさんなどがちょくちょく部屋にやってきた。
 第4インターの人たちは、よくいえば常識的なところがあって話をしていても面白かった。『世界革命』というごっつい名前の彼らの機関紙も、東スポなみの見出しが踊る中核派の『前進』に比べると、マルヒ的には読めるものであったように思う。三里塚で管制塔占拠をやったばかりの頃だったので勢いがあったし、彼らの獄中話の記事も気が利いていてた。
 しかし、なんといっても第4インターといえばマルヒは心密かに『インターお姉さん』と呼んでいた人を忘れられない。さらさらの髪あくまで長く、メタルフレームのめがねに理知的な顔立ち、たおやかなスタイル。北溟寮に足を踏み入れたのを見たことはないが、入学式などでは《鎌とハンマー》に《4》の字の赤ヘルも凛々しくビラを配っていた。
 ああ、あの女(ひと、と読んでください)は、今いずこ。ってほんとういうと、学部も、いや、弘大の学生だったか否かすら知りまへん。

(May 15, 2001)

◆当時、弘前大学に社青同解放派はひとりしかいなかったと思う。寮にくることはなかった。革マル派、ブント各派は大学構内を含めまったく見たことがない。

◆弘前大全共闘として1969年9月に《本部バリケード封鎖》をおこなった安彦良和氏の著書『運命とサブカル』の前半部はその頃の弘前大の活動家との対話で構成されている。対談相手は元赤軍派(連合赤軍事件で下獄した)青砥幹夫氏、植垣康博氏と続く。青砥氏は政治活動のきっかけは?という安彦氏からの問いに『大学の寮に入るんですよ。寮には問題があってね、学生も貧乏な奴がいて』『管理規約や炊婦(原文ママ)さんのこととか…』と語っておりこれは北溟寮のことだと思われる。ただし寮当時の青砥氏は民青の同盟員だった。植垣氏については寮関連の発言なし。その他明言はされていないが、故人である滝浦氏(弘大全共闘メンバー)が寮におり第4インターの同盟員だったことが端々で書かれている。
また元中核派・中澤紀雄氏(68年入学)も何カ所かで寮のことに言及しており寮生だった、あるいは寮闘争に関わっていた可能性が高い。
◆この本には安彦氏の手による69年当時の弘前大構内の《絵マップ》が描かれている。現在の生協食堂のあたりに旧制弘高からの木造校舎。大学本部は今と同じ位置だがこれも木造。教育学部はすで新しい建物に変わっており、旧北溟寮はない(1966年に緑が丘に移転した。)

◆マルヒが心ときめかせていた『インターお姉さん』について。第4インター関係者からの旧サイトへの投稿によると、なんとちゃんと医者になったオガサカさんと結婚して道東で幸せに暮らしているという。
◆マルヒは階長はやったが寮務委員になったことはない。

《2020/9/12》

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