第十九夜 寮歌

復活失敗の巻

鈴木清順

このサイトを通じて連絡がとれるようになったとある元寮生が『弘高青春物語』というビデオを送ってくれた。作成したのは『旧官立弘前高等学校同窓会』で、なんと、旧制弘前高等学校の同窓生であるあの鈴木清順が監督をしている。
 鈴木清順といえば弘前で見た『ツィゴイネルワイゼン』という映画を想い出す。今、調べてみるとこの映画は1980年の封切りでATG系で配給されたようなので、弘前ではいったいどこで上映したんだろう?駅前の東宝で深夜にでもやったのだろうか。この映画、もし誰かと一緒に見にいったとしたらタカナシかヤマムロとだろう。とかく《映像美》という言葉で語られる映画のようだが、今でも覚えているのは、見たあと桃やらウナギやら蕎麦やらを食べたくなったことだ。
 傑作の誉れ高い『ツィゴイネルワイゼン』とは比べるべくもないが、このビデオ『弘高青春物語』は旧制高校生のエピソードを、ミニドラマ仕立てにしてオムニバス形式でつなぎあわせていくという趣向である。ただし出演している俳優は一部を除き高校の演劇部などの素人なので、まあ、演技についてはとやかくいえるものではないが、弘前の風景をおりこみながらの映像で、岩木山・さくらまつり・ねぷた・りんご畑・雪景色など卒業生にとっては懐かしい津軽のアイコンをかいま見ることができる。


 ビデオにでてくる旧制弘前高の最末期(戦後)のエピソードは、朝鮮人弘高生との友情物語であった。朝鮮人学生は李という名前で、北溟寮をでて下宿を探しても、どこも朝鮮人だとしてうけいれてくれない。ひとりの友人が、李の寄宿先を求めて、知り合いの質屋のおぱさんを説得する。結局、おばさんはその学生の熱意にほだされて、李を下宿人としてうけいれる。何ヶ月かすぎ、李は故国に帰ることを決意する。小雪ふる浜辺。見送りにきた友人とおばちゃん。李は『カムサハムニダ』といって浜を歩みさっていく……。
 ほんとうにあったことなのかどうかはわからない。しかし、鈴木清順自身は、旧制弘高から学徒出陣して敗戦後ふたたび学校にもどっているという、いわばその時代の生き証人なのだから、なんらか似たようなことはあったのだろうと推察される。
 そのドラマのなかで李はこんなセリフを話す。『戦争がおわっても日本人は全然かわらない!』しかし、敗戦前は建前的には李は日本人だったはずで、しかも特権階級たる旧制高校にいたこの李が、邪険に扱われたとは想像するのが難しい。だからこのセリフは『戦争がおわって日本人はかわった!』というなら、まだ納得がいくような気がするがどうだろう。

寮歌

 さて、このビデオ、全編BGMには寮歌が使われている。この寮歌だが、ビデオのクレジットによると同窓生が歌っているそうな。それを聞いて感じたこと。

「寮歌は若い声で歌われるのがふさわしい」

 いまでも各地で寮歌祭なるイベントがおこなわれている。また、銀座には寮歌・軍歌をメインに歌う飲み屋もあるらしい。わたしは別にそれに批判的なわけではない。寮歌祭などで ひととき学生時代に戻ることも、先輩・後輩と肩を組み合うことも、なかなか楽しそうではないか。しかし、いくら元気がよい、といっても結局は年寄りの声である。往時に還るすべもない。
 この『弘高青春物語』でも、もちろんあの『都も遠し』が歌われていた。しかし、お年寄りが歌う寮歌には すでに哀愁しか感じない。わたしにとっての『都も遠し』は、やはり寮生200名がはりあげる蛮声である。『都も遠し』も、そんなふうに歌われる時、いちばん輝く気がする。

寮歌復活?

 マルヒは2年生から3年生にあがるとき新歓実行委員会の一員になった。新歓実行委は新1年生の入寮にあたり、各種イベントなどを企画し実行する期間限定の委員会である。コンパの日程調整、学部ごとのオリエンテーション、新歓情報紙の発行、ソフトボール大会、合コンなどなど、春休みの途中から寮に戻り準備をはじめる。

 マルヒがその時たくらんだのが寮歌復活だ。なぜなら、当時寮で歌い継がれていた寮歌は『都も遠し』だけで、マルヒは少々寂しい思いをしていたのだ。そこで大学の図書館にいって資料をあさった。その甲斐あって、いくつか楽譜つきで寮歌を掲載している本を発見することができた。結果、次の4曲を選択した。
 ◆『校歌』 ♪虚空に羽ばたき
 こちらは北溟寮には伝わっていなかったが、探検部だったカトーさんが歌えたので、歌詞だけを補強した。
 ◆『図南歌』♪ああ懐旧の花散りて
 なにかの本で弘高の寮歌の白眉とか読んだ覚えがあったのでこれは是非に、と思っていた。
 ◆『逍遙歌』 ♪雲か霞かはた雪か
 なんとなく散歩するときの歌も必要だろうと選択。
 ◆『北溟音頭』 ♪北の海からヨー
 色モノです。ひょっとしたらタイトル違うかもしれない。

 楽譜はあったが、マルヒは楽譜など読めない。そこでピアノができる男を寮内で探し、新歓実行委にひっぱりこんだ上、どんな曲か弾いてもらうことにした。こういう時には寮は便利である。200人もいれば、なにかと専門技術を持った人間がいるものである。ま、ピアノは教育学部だと必修なので専門技術というほど大それたものではないが。 
 それから、新入寮生がくる一週間前に新歓実行委が食堂わきにあるピアノの回りに集まって練習。次の週には、入寮したばかりの新入生を屋上に集めて早朝から歌唱指導とあいなった。泥縄とは、まさに、このことである。

 こうして復活を企図した寮歌だが、新歓期以外にあまり歌う機会がなく(なぜならば、新歓実行委員以外の在寮生は歌うことができず、新入寮生しか歌えないのだから。)あえなく、また、消えてなくなっていってしまったようだ。ただ、80年に入寮した寮生とその時の新歓実行委員のうちで記憶力のいい人は、まだ歌うことができるかもしれない。

都も遠し

 『都も遠し』のメロディは長年、寮で歌い継がれているうちにメロディ・テンポが変化している。これは北溟寮に限らずどこの寮でも同じ事があるようである。わたしの立場は《すべての歌われ方が正しい》である。たしかに原作曲者の意図は尊重されるべきだとは思うが、「寮歌」は生きて歌われている事が一番、なのではないか。だからいかにメロディ・テンポが変化しようが、生きて北溟寮生に歌われている歌い方も断然正しいのだ。
 現在の北溟寮の公式ウェブサイトを開くと、都も遠し」がmidiで流れる。このメロディは多分、楽譜から起こしているのだろう、残念ながら私は大変に違和感を覚える。

(20 June, 2001)

◆YouTubeから動画を拾ってきました。ひとつはどこかの寮歌祭ですね。ずいぶんゆったりとしたテンポで歌ってます。マルヒの頃はこの数倍は早いテンポだったなあ。
◆もうひとつはボーカロイド版。楽譜をくわせていると思うのでこちらが原曲のとおり、なんでしょうね。本文にあるようにメロディに何カ所か違和感。
◆マルヒ自身も《お年寄りの声》で『都も遠し』を歌う世代になってしまったが…いつまでも…せいぜい大声で…ガナり通したい。

◆鈴木清順の作品に関して。『ツィゴイネルワイゼン』と一緒に『けんかえれじい』もおすすめ。(『けんかえれじい』は鈴木隆による原作小説のほうもかなり素敵。『ツィゴイネルワイゼン』の原作は内田百閒の『サラサーテの盤』)

《2020/9/22》

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