第二十五夜 イタモトの受難

ふたつの事故

カッコーマンイタモト

理学部地球科学科のイタモトは東京は三鷹の出身。理系とはいえ「元」文学青年であり、また「元」シティボーイであった。(失礼)
 彼は、自分でも気にしていた髪の量だけを別にすれば、女性から見ると母性本能をくすぐるようなかわいい系の顔で、女の子にモテるタイプだと思われた。しかし、この男の睡眠時間たるや余人を寄せつけず、あんまり寝てばかりいるので《寝たきり老人》なる愛称がついた。おまけに寝起きの不機嫌さたるや、すさまじい。
 またの名を《カッコーマンイタモト》、なに、カッコウをつけていたというわけではない。北溟寮の周りの樹々には、新緑の頃からカッコーが飛来して鳴き声をあげるが、そのカッコーが鳴き出す朝方に起きていることから《カッコーマン》というのだ。
 彼の生活サイクルはいったいどうなっていたのか、カッコーのなくころは大抵、誰かと話していることが多かった。まあ、そんなイタモトにつきあって明け方だべっている相手のいるところが、さすがに寮のいい点でもある。
 ちなみにイタモトのコンパ芸は机のうえにとびのって、手を羽ばたかせながら踊るカッコーワルツ。みんなが合唱する……
♪かっこー、かっこー、ないてるぅぅぅぅ

母艦サニー号

 2年の春休みのこと、イタモトの出身地である東京は武蔵野市の市議会議員だったイタモトの母ちゃんの改選選挙があった。彼は春休み中、その選挙運動を手伝い、そのみかえりとして車を一台せしめてきた。選挙運動中以外はあんまり使うこともないんだ、と。
 それがイタモトサニー号である。わが1階の航空母艦として本当によく働く車だった。マルヒもどれだけこのサニーの助手席で過ごしたかわからないほどだ。まだ東北縦貫道が完成していなかった東京-弘前をなんどかサニーで一緒に行き来した。もう武蔵野市のイタモト家につく頃、偶然流れていたラジオの落語放送がおもしろくて、最後まで聞こうと2人で一致、彼の自宅そばの路地に車を止めて聞いた、なんてこともあった。三遊亭円楽の『仲村仲蔵』という噺だった。

サニー水浴び事件

 そのイタモトサニーが事故ったのが、人よんで《サニー水浴び事件》。
 初夏のある日曜日の午後、まだ夕食までに少しだけ時間があった。談話室前にかかってきた電話、それがイタモトからマルクマへのSOSだった。どうも事故ったらしい。イタモトが一人で走っていた、なんて知らなかったわれわれは、ぴっくりして、とりあえずバイク2台で青森方面にむかった。。
 国道7号線を青森の手前で左におれた林道、いわゆる梵珠嶺(ぼんじゅね)のあたりである。すでに暗くなった林道の路肩から3メートルくらい下の川に、白のサニーが顔をつっこんでいた。
 イタモトの話によれば……いいお天気に誘われて半日ドライブにでかけた……そろそろ寮にもどろうとして林道をおりてきた……カーブでふくらんだ対向のゼロハン2台がサニーの正面に……必死にハンドルを切るイタモト……あわれサニーは水浴び、と。
 イタモトの受難はそれだけではなかった。ゼロハンの高校生らしき連中は、自分たちに責任があると思ったのか、あわてて逃げだしたらしい。今と違い携帯電話のけの字もなかったころ、イタモト先生、えっちらおっちら林道を歩き国道まででて、寮への電話となったわけである。
 バイクのヘッドライトでうかびあがったサニーを見て、レッカー車を呼ぶしかない、と3人は判断。とりあえず車はそのままにして弘前にもどることにした。イタモトはヘルメットなしで、マルクマとふたりのり。
 ところが悪いことは続けておきるもの、である。われわれは弘前に戻る途中でノーヘルを見とがめられ、白バイに止められてしまった。しかし、ここでマルクマが必死に事情を話すと、くだんの白バイ警官は切符を切らずに立ち去った。のどかな時代、のどかな場所の話ではある。

 イタモトサニーは次の日、レッカー車にひかれて弘前に帰還。修理費用がいくらだったか、マルヒは知らない。

梵珠嶺

 しばし話は脱線するが、梵珠嶺(ぼんじゅね)というのは山のうた『シーハイル』(♪岩木の颪が吹くなら吹けよ)にでてくる
 ♪きのうは梵珠嶺(ぼんじゅね)、きょうまた阿闍羅(あじゃら)
の「梵珠嶺」である。高校の時山岳部だったマルヒには感慨深いものがある。はじめてこの歌を教えてもらった時には『ぼんじゅね』ってなんじゃいな、と思ったものだ。
相棒の「阿闍羅」のほうは大鰐温泉の近所で、東北道には阿闍羅PAという名前がある。

ヒロヒトの語る事故紹介

 第九夜で紹介しはじめた84年卒寮生の記念文集のなかで、ヒロヒトが書いている『事故紹介』を再掲させてください。イタモトの受難パート2です。ヒロヒトの受難でもあるな。

【私の事故紹介】 ヒロヒト
 皆さん、車はコワイ!!私は声を大にして言いたい。車はアブナイ!!と。
 あれは忘れもしない2年生の6月か7月の頃だった。私より2年先輩の兵藤さん、坂本さん、そして同学年の桜井と四人で遊びにでかけた。兵藤さん、坂本さんはオフロードバイク。私と桜井は車に同乗。先輩方はオフロードバイクなので当然行くところはダート中心となるコースをとることになった。

 岩木山周回道路を走っている最中に事件は起こった。
 バイクが先行し、車はある程度の距離をおいてついていく。しかし兵藤さんに比べて坂本さんのテクニックははなはだ未熟であった。それもしかりで、彼は自家用車人間だったのだ。

 途中 景色の良い場所で小休止した後、バイク出発。10分ほどたってから私達の車も走り出した。ところがどうしたことだろう、あっという間に坂本さんに我々は追いついてしまったのだ。急な下り坂であったのでスピードをエンジンブレーキで落とす。それでもバイクとの差は縮まるばかりだ。「こりゃいかん」と思うまもなく坂本さんのバイクにあと20mというところまでせまってしまった。

 その直後、最悪の事態は起こった。坂本さんが急にフラフラしはじめてコロッと転んでしまったのだ。「アッ!!」と思い必死でハンドルを切った。が、フロントからは死角になっている部分の左前方のあたりを左前輪が何かふんづけたようなニブイ感触。

 「坂本さんの腹か頭を僕はひいてしまったんだろうか?」気が動転したまま右の土手のような所に乗り上げきれいに車は横転した。右のドアから脱出した2人は「坂本さん!!」と声をかけて走りよった。しかし、坂本さんはぴくりとも動かない。「大丈夫ですか」と声をかけながらも脳裏に『弘大生死亡!!』という記事が東奥日報のトップに出ている様子が浮かんでは消えていた。

 ところが、ややあってだるそうに起きあがった坂本さんは「ウウッ!!」といつもの寝起きの悪さの象徴である声を発し「何ともないですか?」という私の質問に「大丈夫みたいね」と答えた。その瞬間、私の頭の中には大破した車の修理費用の数字だけがちらついていたのだ。

 ※この時ヒロヒトが乗っていたのは青のオースターだった。マルヒはXT250、イタモトはユウキのセカンドバイクのDT125だったかなあ。
 ※※岩木山周回道路は、その名の通り岩木山のすそ野を一周していた道路で、一部ダートが残っていた。この道路の途中には『津軽萬人観世音』という不気味な観音像が建っていた。今でもあるんだろうか、あれ。

(July 30, 2001)

◆水浴び推定地点 国道7号線経由梵珠山いき林道 大釈迦川ぞい
◆転倒推定地点 アップルロード経由 岩木山周回道路 
◆いずれも推定地点で、また、もちろん80年代当時の道路と全く同じではないので経路は微妙に違うだろう。

◆『津軽萬人観世音』はまだ現存しているようだ。
http://aomoriwonder.blog.fc2.com/blog-entry-16.html
https://ameblo.jp/handa-camera/entry-11923524836.html
◆当時は道のすぐ横にあって誰でもアクセス可能だったが、《信仰のないもの近寄るなかれ》的な警告板があったような気がする。あくまで気がするだけで明確な記憶ではありません。

《2020/10/22》

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