2021-08-15 / 最終更新日時 : 2021-08-15 マルヒ委員 千夜一夜 第四十一夜 北溟寮・緑ヶ丘時代の黎明 OBからの投稿 きっかけ なんの前触れもなく、青森在住の匿名希望の方から旧寮時代の北溟寮の写真が送られてきました。その画像は記念祭のデコレーションを施した旧寮の玄関前に寮生が並ぶものです。玄関のデコレーションに独国語とお […]
2021-08-09 / 最終更新日時 : 2021-08-14 マルヒ委員 千夜一夜 第三十九夜 「リンゴ村から」から 新歓パンフより 82年版 83年版 北溟寮・北鷹寮・朋寮の弘大3寮+国立病院付属看護学校の不孤寮 しめて4寮は、当時「青森県寮連」なる組織を構成することになっていた。その県寮連では 新入生を迎える毎年四月に新歓パンフなる […]
2021-08-08 / 最終更新日時 : 2021-08-08 マルヒ委員 千夜一夜 第三十八夜 寮祭パンフ広告 1981年第60回寮祭 小中氏より提供された第60回寮祭(1981年)のパンレットに掲載されている広告です。弘前の市内中を寮祭実行委員会がかけずり回って集めてきたんでしょうね。よくいったお店もあれば、全然知らないお店もあ […]
2021-05-22 / 最終更新日時 : 2021-05-22 マルヒ委員 千夜一夜 第三十三夜 序章のなぞ だれがはじめた? 歌い継がれてきた歌 寮歌『都も遠し』の序章について書いてみたいと思う。 北溟寮の寮歌である『都も遠し』は、戦前の弘前高時代から新制弘前大学に変わり、さらに緑が丘に移って30年を経た今に至るまで、幾世代も […]
2021-05-15 / 最終更新日時 : 2021-05-22 マルヒ委員 千夜一夜 第三十二夜 つがる鵬溟会 名簿作成事始 ナオキさん その頃、北溟寮の最年長寮生といえば、中核派のトヨタマさんではなく、それはワタナベナオキさんだったはずだ。 ナオキさんは、医学部の専門課程に在学中。早稲田を卒業して何年かたってから弘前大学の医学部 […]
2021-05-14 / 最終更新日時 : 2021-06-21 マルヒ委員 千夜一夜 第三十一夜 雪 津軽の冬 日本シリーズ最終戦 1979年11月4日の日曜日、大阪はミナミにあった大阪球場では広島-近鉄の日本シリーズ第7戦が戦われていた。この試合に勝利したほうは日本一、どちらにとっても球団史上初の快挙となる。 すでに […]
2021-05-05 / 最終更新日時 : 2021-05-05 マルヒ委員 千夜一夜 第三十夜 帰省 弘前への往還 いつもうるさい北溟寮が静まりかえるのが夏・冬・春の長期休暇である。おもしろいものでこの3つの休暇、それぞれ《休みの雰囲気》が違っていた気がする。 夏休み 夏休みは寮祭の喧噪の後にやってくる。4月に入寮した […]
2021-05-04 / 最終更新日時 : 2021-06-21 マルヒ委員 千夜一夜 第二十九夜 寮生御用達・本屋編 本店編? 今泉本店 ナカサコさん、弘前にはどんな本屋さんがあるんです?と聞いたら、ウータン氏は独特の抑揚をもった関西弁で答えた。「ああ、あるでぇ。エエとな、弘前でいちばん大きな本屋は今泉本店いうんや。土手町ちゅう所にある […]
2021-05-04 / 最終更新日時 : 2021-05-04 マルヒ委員 千夜一夜 第二十八夜 リンゴの季節 ああリンゴの甘き香りよ 向陽園 明治の終わり頃、弘前のある場所にリンゴ農園ができた。向陽園という名前を持つそのリンゴ農園こそ、後に『リンゴの神様』『青森リンゴ中興の祖』とうたわれた外崎嘉七氏が開いたものであった。袋かけ・ […]
2021-05-02 / 最終更新日時 : 2021-06-20 マルヒ委員 千夜一夜 第二十七夜 女子寮めぐり駅伝 寮祭 その2 ソーメン食い大会 7月中旬におこなわれる寮祭にあわせて、例年いくつものプレ企画が催された。読んで字のごとく、ソーメンをどれだけ食えるかというイベントである。 毎年日本人が活躍するニューヨークのホットドッグ食 […]