第二十九夜 寮生御用達・本屋編

本店編?

今泉本店

ナカサコさん、弘前にはどんな本屋さんがあるんです?
と聞いたら、ウータン氏は独特の抑揚をもった関西弁で答えた。
「ああ、あるでぇ。エエとな、弘前でいちばん大きな本屋は今泉本店いうんや。土手町ちゅう所にある」
「今泉本店?ですか。ってことは支店もいくつか、、」
「それが違うのや。本店は本店」

 マルヒが生まれ育った松本は弘前と共通点が多い。城下町であること、県庁所在地ではないこと、旧制高校があったこと、軍隊がいたこと。。。こんな町には昔からの老舗本屋さんがあるに決まっている。松本のそれは鶴林堂といった。弘前ではこの今泉本店がそうだった。

 弘前で本屋さんといえば紀伊国屋でしょう?という人がいるかもしれない。ところが弘前に紀伊国屋ができたのは83年のこと、マルヒが弘前を去った後なのだ。

 「本店は本店なんや」とウータン氏がいったように、なんと津軽では本屋さんは「書店」を名乗らずに「本店」と自称するのである。今泉はいくつか支店をもっていたから、土手町にあった本店は即ち『今泉本店本店』なのである。津軽では、と書いたがこれは弘前だけではなく青森市にも成田本店という例があるからだ。

『春の雪』三島由紀夫 大学一年のときに買って読んだってことか。ああ、人力車のふたりにおちる春の雪よ。 
今泉本店カバーのアップ

 マルヒの記憶のなかにある今泉本店は本の匂いと土間のような床。古い木の本棚。雪の日に店内に入った時の暖かさ。

生協の本屋

大学にあった生協の本のコーナーも、年をおってだんだん拡充されていったと思う。毎週火曜日だったか5パーセントオフの日があってそのためコープでしか本を買わないという貧乏学生もいた。
 弘前の市内の本屋さんに比べると、さすがに数的には本は少ないが、とはいえ品揃えという面ではひと味もふた味も違っていた。

『呐喊』魯迅 窓のない鉄の部屋…眠り込んで窒息していく人々…だが希望は未来に属してしてる。「…もともと地上には道はない。歩く人が多くなればそれが道となるのだ」

 学校にいっても授業にでる時間より、生協の食堂で飯を食うか、本屋で立ち読みするか、そんな時間のほうが長かったような気がする。授業が始まってからのほうが客が少なくていいのだ。

花邑

 マルヒが弘前にいるうちになくなってしまったが《花邑》という素敵な本屋さんがあった。ハナムラ、と読む。場所は土手町と代官町との角、-すなわち今まさに紀伊国屋がある場所からすこしだけ下ったところにあった。
 この花邑というお店はブティックと本屋さんが複合してできていたのである。
 洋服と本。きっと経営していた人がこのふたつを好きだったに違いない、といまでもマルヒは想像している。弘前のような古都にはそんな粋な文化人がいるものなのだ。本当は違っていてもこれを真実とする(?)。

『地獄の季節』ランボオ 「今はまだ前夜だ。流れ入る精気と誠の温情はすべて受けよう。暁がきたら俺たちは燃え上がる忍辱の鎧をきて光り輝く街にはいるのだ」
カバー背のアップ

 トビナイさんは八戸の出身でマルヒより一学年上。彼のお兄さんもやはり弘大生だったと聞いた。いつもギターを大音量で弾いてたり、あるいは同室の下級生を部屋からおっぱらって、もっぱらおねえさんを連れ込んでいたりした。寮活動なんて子供がやることさ、とばかりにちょっと斜に構えたところがあったトビナイさんだが、マルヒにはそれが彼一流の露悪趣味にも見えた。
 そんなトビナイさんの部屋の本棚にあった本を借りたことがある。
 その本はやっぱり花邑のカバーにくるまれていて、ある程度の年齢の人ならわかるだろう、例の新左翼特有の文字で、「出発は遂に訪れず」と青いインクで書かれていた。
「それ、兄貴の本、でさ、、」
と、少しだけ照れくさそうな顔して鼻をぐずっとしながらトビナイさんはそういった。

(Nov.16 2001)
【追記 Jan. 2003 花邑につき「マルヒが弘前にいるうちになくなってしまったが」の記述がありますが、これは「花邑の書籍部」のことです。婦人服屋さんとしての花邑は存続していました。けれども2000年にはすべてお店を閉めてしまったようです。時代の流れとはいえ寂しいものです】

◆もう10年以上も前の話、家にあった本はほぼ売り払って、《図書館を自分の本棚》にすることにしました。でも…最後まで手放せない本というものはありました。上記の3冊もその一部です。
◆文中にある紀伊国屋書店・弘前店は2019年に閉店、1983年から続いた36年間の歴史を閉じたようです。いやはや今泉も花邑もそれよりの前の話だはんでな。

《2021/5/4》

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