第四十二夜 10.20事件 前編

潮の変わりめ

ささやき声

マルヒくん、マルヒくん……
そんな声が耳元で聞こえた。うるさい、俺はまだ寝てるんだ…
『…マルヒくん、マルヒくん…』しつこい、だれだ、この声…ん?これはトヨタマさんの声?

 1979年10月20日、この日は土曜日、たぶん朝10時くらいの事だったと思う。北溟寮一階・116(ぴんぴんろく)号室の西側ベッドに寝ていたわたしは、中核派のトヨタマさんの声に起こされたのだ。同室のウータン氏はすでに学校にいった後らしく姿が見えない。その代わりなぜか中核のトヨタマさんとキノウエさんが我が部屋にいたという訳だ。
 
 『マルヒくん、権力がくるんだよ、権力が。で、お願いがあるんだけどね、これを預かってくれないか?』
まだ目が覚めやらぬわたしの手にA4の茶封筒を手渡しながら、トヨタマさんは囁くようにそういった。
……権力?ああ?警察??うん?けーさつぅ?! えぇえ?警察がくる???
 『ガサ入れがあるんだ、これ、しばらくの間なにも言わずに預かってほしい』、たたみかけるようにトヨタマさんが続ける。隣のキノウエさんは終始無言のままだった。
 『は、はぁ…』
わたしは生返事でその封筒をうけとり、木製の勉強机の一番下の引き出しにしまった。それがわたしにとっての10・20事件のスタートだった。その時、マルヒは北溟寮の2年生、まあ、名前を売り出し中ではあった。

10.21

 学生運動筋で有名なのは1968年におきた10.21(じゅってんにいいち)国際反戦デー/米タン輸送阻止/新宿争乱事件だろう。これは、戦後はじめて騒乱罪適用が争われた大事件であり、東大安田講堂攻防戦からさかのぼることふた月半、学生叛乱のうねりのまっただ中のことであった。

 わが北溟寮の10.20(じゅってんにいまる)事件は、もちろんそんな大事でもなんでもなかったけど、当事者の我々にとっては十二分にインパクトのあるできごとだった。
 茶封筒をマルヒに手渡して部屋をでていく中核派のトヨタマさんの顔はこの事態を楽しんでいるがごとくに妖しく輝いていた。

ブンの奮闘

 『納得がいかない。どうして警察が我々の生活の場に踏み込むんだ』
 『説明があるまでいれるわけにはいかない』
 玄関先にいくと、そこにはヘルメット・ジュラルミンの盾はないものの、乱闘服(捜査服?)に身をつつんだ警察の一群20名ぐらいが並んでいる。何人かの寮生がその正面にむかいたち、間にはトラオ学生部長など学校側の関係者の姿。
 そのなかで、もっとも目立つのはいつもの茶色のチェックのガウンを着こんだ、かの我が寮長・ブン。ガウンの下はきっとパジャマだったような気がするが。あと寮務委員会の連中の顔も数人。
 当時の寮務委員会は、たぶん古株の民青と協会派が大部分を占めていたのだと思う。ただしこの79年の春くらいから朋寮における「Sさん処分」問題などで溟寮生の論調は少しずつ変わりはじめている頃だった。

Sさん処分問題

 ちと寄り道になるが、この事件にも少しだけ関係あるので『朋寮Sさん処分問題』の事を書いておく。『Sさん』というのは中核派の同盟員で(たぶんそうだと思う。少なくともシンパ以上であったことは間違いない)、当時、弘前大学の女子寮である朋寮に一人だけいた《過激派》だった。その彼女を朋寮自治会は退寮処分にかけようとしたのだ。表向きの理由は寮費の退寮滞納と寮への不在であった。
 とはいえ、だからといって、学校当局にも先駆けて朋寮寮務委員会がこの『退寮処分』をしかけた理由は、やはりそこに政治的意図が存在していたと、マルヒとしては思わざるを得ない。学園町の寮自治会を仕切る民青にとっては、そこに巣くう中核派-『ニセ左翼暴力集団』(と、当時 民青は中核派はじめ新左翼のことをそう呼んでいた。それ以前は『トロツキスト暴力集団』だったようだが…。)の存在は許せないものがあったのだろう。
 マルヒを含む北溟寮の一部寮生は、この処分過程に異分子をつまみだすいやな匂いを嗅ぎつけた。北溟寮自治会としての公式な異議申し立てには至らなかったが、何人もの寮生が自由参加してタテカンを作成して朋寮自治会に『話し合い』を続行するよう訴えかけたりした。階生大会からなだれこむようにして、みんなで作成したタテカンを思い出す。マルヒにとって初めてつくったタテカンだった。
 1.Sさん処分に反対する
 2.朋寮寮務委員会は話し合いに応じてくださいね
と書いて、下部には賛同者の名前全員を記す、という変なタテカンだったが。
 いまとなってはSさんの本名はなんであったか、まったく忘れて思い出すこともできない。

ガサ入れ執行

さて10.20(じゅってんにいまる)事件に話を戻す。この日警察が北溟寮にきたのはなぜか。それは中核派の居室に対する家宅捜索であった。
 後日、裁判を傍聴しにいって判明したのだが、その事件とは電柱へのビラ貼りなのであった。ビラ貼り事件にはSさんも関与していたとして、この日同時刻、北溟寮とともに朋寮にも警察が押し寄せていたのだ。いや、朋寮には押し寄せていたというか、わずか2名であったようだが。つまりあらかじめ「抵抗」が予想される北溟寮には機動隊一分隊。反抗はしないだろう学園町には2名だけを派遣したのだった。

 時間がするすると流れる中、ついに相手警察の隊長が「執行書」を朗読し始める。
 当時の寮生にとっては、つまり当時のマルヒにとっては学校側(トラオ学生部長)と警察は同じ穴の狢(ムジナ と読みます。念のため)、もちろんこの日、北溟寮にガサ入れするのは両者相談済だと思っていた。しかし今になっては、そんな事はなかったのかもしれない、と思う。
 学生側は学生部長・トラオがいったという『捜査後に説明させます』という言辞を信じ、警察はいよいよ寮内に入っていくのだった。寮内立ち入りへの付き添いは、ブンその人。中核の人たちはきっとどこかに隠れていたんだろうね。
 やがて、ガサ入れが終わり、しばらくして警察の面々が玄関先に姿を現す。もちろんかれらはさっさと玄関をでた先、道の反対側・りんご園の横に置かれているカマボコ(カマボコ型をした機動隊輸送車)に帰ろうとした。ここを寮生たちが必死の顔で留めようとする。すでに昼近くになっていたように思う。学校から帰ってきたものをふくめ、7、80人ほどいたろうか。『おまえら、さっきちゃんと説明するっていったじゃねーか!』といいつつ。

逮捕!逮捕!!

 機械的に引き上げようとする警察と、それを留めんとする寮生が揉みあう。りんご園のなかに転げこむ者、警察に殴りかかるものなどあたりは騒然とした。その時『公務執行妨害!』『タイホ!』の大声が響く。桔梗野の坂を下っていくカマボコに寮生がしがみついている。りんご園の脇に落ちていた石を拾って投げつける寮生もいる。みんな興奮しきっている。

 結局 逮捕されたのは中核のミドリヌマさんと、三里塚帰りの4トロ(第4インター)のオーカワさん。オーカワさんは既に退寮していた元寮生だったのだが、たまたま寮にオルグにきた時に10.20に遭遇したのだった。

この項…続きます

(2008, MAY 11)

◆オーカワさんからは旧サイトに投稿いただいたことがありました。オガサカさんなどのその頃の第4インターの方の消息を知らせていただきました。ちょっと面倒くさいですが、掲示板にあるアーカイブファイルをダウンロードすると見ることができます。

《2021/9/20》

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA