第二十六夜 合コン哀歌
寮式合コン
合コン? 合ハイ?
横浜や渋谷でひんぴんと合コンを繰り広げているらしい我社の若者諸君に「合コンってなんの略か知ってる?」と聞けば、「合コンは合コンでしょう?」とか答えられるのがオチだ。
合コン、すなわち合同コンパ。男女が一緒にコンパをすること。--男女が一緒にコンパをやるんだから、これはどう考えても戦後民主主義の産物であろう。たぶん、1950年代くらいからはじまった言葉に違いないが、しぶとく合コンは生き残っている。
それに比べて合ハイという言葉は消えていった。え?合ハイってなんだって?うむ、それは合同ハイキングのことですぜ。若い男女が健康的に一緒に野山にハイキングにいって楽しもう、という企画のことであるみたいだ。あるみたいだ、というのは、さすがに80年代北溟寮にも合ハイの風習は残っていなかったからである。そのかわり《炊事遠足》というなにやらゴツゴツして飯盒でもでてきそうな名前の行事は残っていたが。
さて北溟寮の合コンとはいったいどんなものであるか。順をおって説明していくことにしたい。
1.合コンは階単位で行われるのが基本であること
北溟寮各階は、階長からはじまっていろいろな係が存在する。そのなかで実質的な働き具合が一番わかるのはコンパ係である。コンパ係はこの「千夜一夜」の最初のほうに書いてあるような水コンや新歓コンパ、あるいは改選コンパなどの伝統コンパを企画するのでは全くない。彼らの使命は、ひとえに半年の任期中どれだけ合コンを企画できるか、ということになっている。コンパ係がサボればその階の合コンは少なくなるのだ。
階単位の合コンに対して有志が個室で決行する合コンもときおり開かれた。部屋コンなどと呼ばれていた。こちらは階のコンパ係の才覚に関係なく個人で行われるもの。しかし、この部屋コンの場合は近隣住民のジェラシーの渦のなかで人間関係を破壊しやすく(本当か?)、招かれる側も男子寮の個室にくるのはためらうケースが多いのか、あくまで例外的存在であった。
昨今のようにどこかの居酒屋とかで合コンをやるということについては、少なくとも寮生が主体の場合、私はあまり聞いたことがない。金がなかったからなのか、それともそういうカルチャーがなかっただけなのか、それはわからない。
2.合コンのお相手は女子寮が基本であること
さて、その合コンのお相手である。北溟寮のひとつの階の住民は約50名である。このうち半数が合コンに参加すると仮定して25名。それにみあうボリュームを探し当てるとするならば、それはやっぱり女子寮がお相手となる。
弘前にある学校の女子寮でコンパの相手として浮上するのがまず学園町の朋寮。ご存じ宿敵北鷹寮と隣接している関係上どこまでいってもわが北溟寮側は分が悪いのだが、とはいえ同じ学校なので、なにかとつきあいはできる。
次に指をおらなくてはいけないのが国立病院付属看護学校の寮である不孤寮である。弘前大学の三寮(北溟寮、北鷹寮、朋寮)と、この不弧寮の自治会が「県寮連」-青森県寮自治会連合という組織を形成してることもあって、不弧寮のおねえさんたちも、合コンのよき相手であった。
朋寮、不弧寮とも階単位の組織があったので、例えば朋寮3階と北溟寮1階のコンパとかいう形になる。
さらに弘前学院大学の紫寮。これで《ゆかりりょう》と読む。キリスト教系私学である弘学の寮の規律は厳しそうであったが、ときおり合コンの相手をつとめてくれた。(*今回この文を作成するにあたり、弘学のHPを見たらびっくりした。なんと弘学は1999年より男女共学となっている!紫寮はまだ存在するんだろうか。。)
反対に当時あまりなじみがなかったのは東北女子大学の清風寮でした。
3.合コンは土曜日の夜に行われるのが基本であること
ほかの階では合コンをやっているのに、自分の階では合コンのない土曜日。これはなんとなくみすぼらしい。
だいたい合コンをやるシーズンというのがあって、例えば試験が終わった後の秋とか新歓期とか、他の階も考えることは同じで、そんなシーズンには合コンがカチあうことは少なくない。玄関には靴があふれ、各階のトイレはひと階おきに女性専用という張り紙がでる。女の子の笑い声や嬌声が上のどこかの階から聞こえてくるなか、部屋で男同士のメンツでうだうだだべっているのは、あんまりいい気分のことではないのである。
合コンの土曜日、いつもは麻雀牌の音がひびき、むちゃくちゃちらかっている談話室も、寮生の手でお掃除される。さらに、落書きだらけの壁は模造紙で覆われ、天井の蛍光灯は色セロファンがかぶさせれたりする。要はアラ隠し、極意は薄暗く、である。極意でもなんでもないか。
4.合コンはアルコールは自分は控えめに相手には多めに、が基本であること
さて、グラスはどうしたっけ?自分のものはともかく、お相手にはあんまりひどいものは出せないから、階じゅうのグラスをかき集めてきたんだっけ?
この日ばかりは、迷酒「弘前城」は影を潜めて、トリスコンク、または、せいぜいオレンジ50に「樹氷」でしょうなあ。(この「樹氷」という酒、当時はマイルドウォッカなる名前でサントリーは売っていました。なんのことはない甲類焼酎です)
で、ぞろぞろと談話室にはいってきた女の子たちと、まずはビールで乾杯してから、おもむろに甘っちい、しかしアルコール度数の高い飲み物を作成するわけっす。樹氷+オレンジジュースで。女の子が酔っぱらってこちらのつまらない冗談にけらけらと笑いだしたらしめたもの。盛りあがらない合コンほど気づまりなものはありませんぜ。このあたりは昨今の合コンと変わらないねえ。しかし敵もさるもの、むこうの階長あたりの古参は、自分のところの一年生にあまりひどいことをしていないかと、目を光らせているのである。
場が進むにつれて女の子の気分もほぐれてきたら、そこは東北弁の世界。女子寮にいる子はほとんどが青森県内から集まっている(朋寮のぞく)こともあって、酔っぱらった時の言語はつい、東北弁がでるんだなす。これは人により好き嫌いがあったが、少なくともマルヒは好きでした。
5.合コンは終了後に送っていくのが基本であること
門限が設定されている寮もあり、9時過ぎになるとそろそろお帰りの時間になってしまう。そこで、緑が丘のリンゴ園の中にある北溟寮からおのおの女子寮まで、送り狼タイムとあいなる。
寮の玄関の前でごちゃごちゃやっている時から、どの子をとるか戦いが始まるんだね。むろん、むこうにはむこうの思惑があるから、うまくいくときもあれば、いかないこともある。
女子寮までの30分。ここには数々のドラマが生まれていくのだ。酔っぱらった勢いで肩を抱いたりする男もでてくるし。どこかで別の道に消える場合も、たまにはあったかもしれないし。
ある女子寮のAさんは、ひと月の間に北溟寮との合コンに続けて2回参加(4階と3階が相手でした)、送られていくその帰り道、豊満な体(って死語か?)を武器に、純情コツチダおよびクメダの胸と×××を熱くさせたと伝えられる。
6.合コンは翌日に電話をかけるのが基本であること
そんなこんなの土曜日の夜がすぎたら、日曜日。きのう話がはずんだおねえさんに電話をする日である。
今は八戸で小児科の医者をしているツヨシがあるコンパで知り合いになった女性に電話をかけたそうな。
「あの、あした会ってお茶でものみませんか?」
「ちょっと、いま風邪をひいてるから……」
「じゃ、来週の土曜日はどう?」
「わたし、来週も風邪ひいてます。」
「……」 《合掌》
(Aug. 30 2001)
◆サントリー《樹氷》のCM。バロン吉元のイラストに、『樹氷にしてね、とあの娘はいった』の名コピー、チェリッシュが歌うは ♪ マイルドウォッカをロックでちょうだい、マイルドロックを今夜は~。
◆ライバルのタカラ焼酎の《純》も懐かしいっす。
《2020/11/3》