第二十七夜 女子寮めぐり駅伝

寮祭 その2

ソーメン食い大会

7月中旬におこなわれる寮祭にあわせて、例年いくつものプレ企画が催された。
読んで字のごとく、ソーメンをどれだけ食えるかというイベントである。
 毎年日本人が活躍するニューヨークのホットドッグ食い大会は時間内に何本食べられるか、という勝負のようであるが、溟寮のソーメン食い大会には制限時間はなかった(と思う。)水フさんに協力してもらい寮の厨房でたっくさんのソーメンをゆでる。
 出場したのは2年生の時、一回こっきりだった。だいたいこの手の競技でマルヒが勝てるはずがなく、まあ、にぎやかしその他大勢といっていい。この時一緒に出場した《1階アホ連》頭領のマルクマは、根性がはいった食いをみせて入賞ギリギリまでいった。しかし、このマルクマのおっさんときたら、最後の一杯をほおばったまま、そのままトイレにかけこみケロケロとみんな吐いちまった。

一階アホ連のふたり。全寮イベントの際には、この位置…いちばん南側の一列が1階の定席となる。だとすると、これは予選のときか、自分の番が終わったあとの写真かもしれない。というも、写っている人の視線は調理室側をむいており、そこで決勝とかが行われている可能性大。


 大食い競技というのは身体が大きい奴が強いかというとそうではなく、例えばコムケーなどもソーメン食い大会とかビール早飲み大会とかで、ついぞ優勝した試しがないのではなかろうか。ちなみにコムケーは青森高校柔道部の出身で、推定身長180センチ推定体重95キロである。

 ソーメン食い大会にはちゃんと賞品がでた。参加賞?もちろん、太田胃散一包である。

クメダ

 ソーメン食い大会で思いだしたが、3階にいたクメダの歯は、一本一本の間に隙間があいている、いわゆるスキッ歯というやつだった。 
 このクメダがよく寮生から、からかわれていネタがふたつ。ひとつは、トウモロコシを一個とばしにかじることができる。もうひとつが、歯を食いしばってソーメンが食える、であった。

 そこで考えた1階生、あるコンパの席上で階回りにきたクメダに、どんぶり酒ならぬ、どんぶり一杯のソーメンを用意しておいた。
クメダ、一瞬、絶句したものの、ちゃんと出身をすませ、
 「それではっ、歯をくいしばって、ソーメンをいただきますっ!」
わっしょい、わっしょいの声にあわせて、ソーメンをすすった後、クメダはいったものだ。
「1階のみなさーん、こんどは桃屋のつゆを用意してくださーい」
面倒くさがりの1階生が用意したつゆは、ただのしょうゆを水でうすめたものだったのだ。

女子寮めぐり駅伝

 いつも合コンでお世話になっている女子寮3つをまわる駅伝である。
 まずは、学園町にある朋寮。例の宿敵・北鷹寮と食堂を共有する女子寮であり、弘前大学唯一の女子寮である。
 紫寮。紫と書いて、ゆかり と読む。ここはキリスト教系の女子大である弘前学園大学(通称、弘学 ヒロガク)の寮。西弘のすこし奥のほうにある。
 もうひとつは不孤寮(ふこりょう)。国立病院の付属看護学校の寮で、大学のすぐ前にある国立病院のすぐ横にたっている。
 それぞれの寮が中継地点になるわけなので、そこに選手および運営役員が待機する。これが女子寮めぐり駅伝のキモというわけで、すなわち、なんとかして女子寮の女の子と接点を持ちたいのである。
 79年、われわれ1階は2チームを編成するという根性のいれよう、イタモト、ヤマムロ、ブン、カジやん、マルヒ、マルクマ……いやはや2年、3年の年寄りばかり。《ラッキョのピース》などとふざけた名前をチーム名にした。駅伝といえばたすきが相場だが、女子寮巡り駅伝の場合はそれに類したなにかをバトンとすればよい。《ラッキョのピース》のバトンは、黒ヘルにタオル の過激派スタイルとした。
 もともと長距離は不得意なマルヒであったが、このときはずいぶん快調に走ることができて、「おおオレもやるなあ」と思ったものだ。足をひっぱったのは《寝たきり老人》の異名を誇るイタモトである。普段クルマを常用して、たばこ・コーヒーをこよなく愛する元文学青年のイタモトに走るという行為はとても似合わなかったようで、途中歩いていたとの目撃証言もはいった。
 結局、最下位。2年連続でラストのLマークで集合写真を残している。後々フィリピンでコラソン・アキノ率いるピープルズ革命の際、Lマークはラバン(抵抗)マークとして有名になったが、もちろん溟寮一階のLマークとはなんの関係もない。

仮装行列

 プレ企画として寮祭の宣伝がてら弘前市内で仮装行列をした。わたしが在寮中は一階はいつも女装。伝統とかよばれていたが、あんまり考えなくていいから、というのが理由としか思えなかった。
 79年寮祭のとき・女装の面々
 ただし女装にあたっては不弧寮や朋寮のお姉さんたちの洋服を借りてくる必要があるので、女子寮めぐり駅伝と同じ事、なにやらと女子寮生と話ができる、という利点がある。これこそ女装が長く続いた原因であろう。

 シゲルさんはその細身の体で女装を得意としており、農学部のコンテストやらで優勝してことがあると聞いていた。
 ところが、79年の寮祭の直前、中途入寮してきたタキヤちゃんといったら、そのシゲルさんや、シゲルさんのライバルであるシュドウ以上。女装をさせて寮内を歩いてるタキヤちゃんのことをみた他階生は、10人のうち9人までもが、彼のことを本物の女性だと思ったに違いない。漫研の会員だったタキヤちゃん、卒業してから神奈川県で学校の先生になったと聞いたが、さぞ女の子にももてたに違いない。

じゃんけん大会

 じゃんけん大会。まず同室どうし、次に勝者が隣の部屋というように順々にじゃんけんをしていき、最終的に食堂で溟寮ナンバーワンのじゃんけん強者を決める大会

 あと、どんなプレ企画があったろうか。時代によってはやりすたりもあることだろう。掲示板に投稿をお待ちしています。 

(Oct. 2 2001)

◆久しぶりの更新となりました。今回、昔の写真をひっくり返したところ、どうも79年と80年のことがごっちゃになっていることが判明。また階報《わたしのアイランド》を探索したところ、ただしくは
 79年…1階から3チーム 
  タキヤ、シュドウ、サクタ、テラシマ、ムラ(らっきょのピース) 3位
  ハヤシ、カツヤマ、アベ、シラトリ、ヤマムロ(カラス) 8位
  ナカタ、カジタ、サカモト、ミウラ、ヒョウドウ(サミット) 10位…どべ
 80年…Lマークで終わった女子寮めぐり駅伝(写真のとき)
  チーム名不詳。スタイルからして、クマ、テラシマ、ヒョウドウ、カナモリ、サカモトなどが出走していると思われる。とすると、複数チームか。少なくもマルヒのチームはどべ(北海道弁だと げっぱ)連覇だったてのは間違いない。

◆文中で触れている『コラソン・アキノ率いるピープルズ革命』は1986年、かれこれ20年以上も独裁政権を続けてきたマルコス大統領を打倒した革命のことだ。宮殿に残されたイメルダ夫人の靴の数はいまでも語り草となっている。

《2021/5/02》

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