第二十八夜 リンゴの季節

ああリンゴの甘き香りよ

向陽園

明治の終わり頃、弘前のある場所にリンゴ農園ができた。向陽園という名前を持つそのリンゴ農園こそ、後に『リンゴの神様』『青森リンゴ中興の祖』とうたわれた外崎嘉七氏が開いたものであった。袋かけ・樹型の改造・消毒などのリンゴ栽培技術は、氏が導入し、普及に努めたものである。

 どうしてそんな話を始めたかって?そのリンゴ園があった場所は当時の名前で樹木。外崎翁の死後、どんな経緯があったのか、その土地は国に寄付され、そこに北溟寮が移転してきたからだ。北溟寮は、実はそんな由緒正しい場所に建っていたのだ。まわりはリンゴ園ばかりのはずである。

 北溟寮のロータリー横の石碑は、この外崎嘉七翁の顕彰碑であると思われる。(思われる、と書いたのは北溟寮在寮中には こんなこと興味がなかったので見もしなかったのです。)

雪に埋もれる顕彰碑。2003年撮影

ぼけたリンゴ

 寮の夕食には、秋から春にかけてよくリンゴがついた。無造作にかごにいれられたリンゴの中からをひとつ、食堂から部屋に持って帰り、後で囓るのである。しかし、このリンゴ、おせじにもおいしいとは思えなかった。
 私のふるさと信州松本では、収穫されてから時間がたってシャリシャリ感がうすれることを『リンゴがぼける』と形容する。まさに寮食のリンゴは、ぼけたリンゴが多かった。

 就職して初めての秋、目蒲線沿線の小さな駅の近くにアパートを借りていた。駅の前には果物屋さんがあって夜遅くまで開いていた。プラスチックのお皿に盛られたリンゴ。一山いくらだったろうか。見ていた私に店の親父が声をかけた。
『どうだい、いいリンゴだよ、それ』
『うん。そうですね、でもちょっと。。』
『俺がいうんだから、間違いないよ』
『でもねえ、おじさん、ぼくは信州松本生まれで、この前までいた大学は弘前だよ』
『なるほど、それなら リンゴについてはかなわねえなあ』

リンゴ?梨?

 わたしには6歳年上の兄がいるが、彼は東京の大学にいっていた。秋になると、我が家ではその兄のところにリンゴを1箱送ったものだ。わたしも学生になったら家からリンゴを送ってもらうんだろうな、そんなことを考えていた。なんのことはない、入学した先は弘前。家から送ってもらうものは、梨にしてもらった。

お作法

 高校生の頃から、リンゴをパクりに行くときは、リュックをさかさまに背負うのが正当だ、と先輩から教えられていた。リュックの口を紐で縛る旧式のタイプである。もし、見つかった時はその紐を外す。下にむけてリンゴは転げ落ちて、逃げやすくなるというのである。ビデオの『弘高青春物語』にも まさに同じシーンがでてきた。どうやら、全国でまことしやかに伝えられた伝説なのであろう。本当にやっても実効性があるとは思えません。

寿リンゴ

 秋、寮の窓を開けるだけで、リンゴの甘い匂いがしてくることがあった。誘惑に耐えきれず、周囲にあるリンゴをパクったことも、ええ、あります。
 ある夜、リョウ達とすぐ目の前の三中との間のリンゴ園に忍びいったことがあった。真っ暗闇のなか、大きそうな実を手当たり次第に何個かもいで寮に戻ってきた。ところが、そのリンゴ、『祝』とか『寿』とかの文字を紙でつくり表面に張りつけあった。その紙をはがすと赤いリンゴの皮の上に白い文字がうかびあがる、という特別品だ。こんな高そうなものをパクるつもりじゃなかった、と我々はしきりに反省した。ごめんなさい。

世界で一番おいしいリンゴ

 一番おいしかったリンゴの食べ方。。。
 宵のうちから、西弘あたりでたっぷりと飲酒した時。流転にいったとしても決してバスを使ったりしてはいけない。歩いて寮まで帰ることだ。
 ふらふらした足取りで、土淵川を渡り、緑が丘に至る坂を登っていく。秋の冷たい凛とした空気の中に、リンゴの匂いが漂ってくる。鉄条網の破れ目はきっとある。枝からもぎたてのリンゴ。かじりついた時の冷たさ。頭のてっぺんまでつきぬける香気。のどにしみわたる果汁。。。この時以上においしいリンゴを、わたしはまだ食べたことがない。

(Oct.18 2001) 

◆ネットの情報によると、溟寮の構内にある石碑は外崎翁の顕彰碑ではなく、ときの天皇(大正天皇)がリンゴ園を視察したことを記念した《行啓記念碑》である由。
◆《目蒲線》という名前は2000年に消滅している。当時マルヒのアパートの最寄り駅は《鵜の木駅》であった。当地の大地主の敷地の一角にあった風呂なし・トイレ共同の5畳半の部屋、窓のからはなんと茅葺屋根の家が見えた。

◆北溟寮近辺のリンゴ農家の皆様にこの場所を借りてお詫びします。

《2021/5/4》

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