第六夜 大観桜会

三大コンパ その3

三大コンパのトリ

5月の声を聞く頃、弘前城では有名なさくらまつりがはじまる。三大コンパのトリは、お城でおこなわれる大観桜会である。観桜会の出発点は北溟寮玄関前だ。各階ごとにだんだんと人が集まりだしてくる。この頃1階の新入寮生はパジャマの上にパンツをはく、という珍妙な格好が決まりだった。お城の中で酔っぱらって《死んだ》とき、すぐ他の人と区別できるため、とまことしやかに伝えられていた。
 1階の管轄である大太鼓-弘前高等學校應援団の文字および大鵬の校章が胴に彫ってある-が、リヤカーに乗せられて出発をまっている。北溟寮の大観桜会に準備されているのは日本酒と焼酎とどんぶりだけ。しかも、この酒の大半はお城に行き着くまでに消費される運命にあるのだ。
 緑が丘にある寮を出発して、大学経由で弘前市内を歩いてお城まで。もちろん、警察に道路使用許可届提出ずみ、つまりはデモ行進なみのイベントなのである。

大観桜会-1 出陣

 玄関前にあつまった各階寮生が丸い輪になり「出身」がはじまる。このての場合は、《省略出身》が通常で
 『しゅっしーーん、いか、省略ぅぅ』
 『わっしょい! わっしょい! わっしょい!…」
 と、なんの事はない、景気づけにどれだけアルコールを体内にとりこむかってことだけが目的のようである。
 ひととおり「出身」がすむとぞろぞろと列になって溟寮玄関を出発していく。といっても100人以上いるから、列だけでもだいぶ長くなる。列のそこかしこで、春歌などを歌うのも観桜会らしくてとてもいい。『ほくめいりょう、かんおうかい、ほくめいりょう、かんおうかい』などと唱和しながらいくのは、あんまり観桜会には、ふさわしくないようにマルヒには思えたが、まあ、これもよしとしよう。

商売繁盛コールの由来

 土淵川にむかって桔梗野から坂を下りて、また坂をのぼきったところに寮生御用達の酒屋、鳴海商店がある。

なるみ商店。マルヒが在寮中に改築された。その時にはあるエピソードがあるのだが、それはまた別のお話。この写真は2003年撮影

私が2年生の時だったとおもう。4階にシモヤマというとても元気な男がいた。陸奥湾につきだした夏泊半島のあたり、津軽は平内の出身で、いまは八戸で教師稼業。ところがこの頃のシモヤマときたら始終「××こ・ま××、ち××・××こ」などと意味もなく口ずさんでいる男。なにを思ったか、シモヤマは鳴海のおっさんにどんぶりを渡し、酒をどくどくつぎだして、縁起物だからと、しきりに酒を勧めている。
 いったいなにが縁起物なんだ??しかし、おっさんも大勢の寮生の前で酒を勧められて黙っている津軽人ではない。ごくごく飲み始めたではないか。まわりに半円形に集まった寮生が歓声をあげる。だれかが、わっしょい、わっしょいだとつまらない、と思ったのだろう。
「しょーばい、はんじょー」
 といいだすと、またたくうちに何人もの寮生が唱和していく。おっさんが一気に酒を飲み干す。味をしめたシモヤマはじめ一統は、次の店、次の店と、店先にでてきたおっさんらにのべつまくなしで、どんぶり酒を勧めはじめた。
 これが、商売繁盛コールのはじまりであった。この商売繁盛コール、この年以降、まるで北溟寮の長年の伝統のごとく、繰りかえされることになった。
 弘南鉄道の踏切を通過、西弘を経て、いったん寮生は大学内にある大学本部前に集結する。その前で、ふたたび寮生は蛮声をはりあげ《出身》および寮歌。いよいよ、気勢を上げて弘前の町中にむかっていく。

弘前繁華街核心部~本丸突入

 富田大通りを北にむかい、焼き鳥屋の前で少しだけ右におれると、土手町という弘前一の繁華街と交差する。津軽地方の中心弘前のそのまた中心だけあって、しゃれた服屋さんや鞄屋さん、老舗の和菓子屋さん、時計台のある時計屋さん、本屋さんなどが並んでいる。シモヤマは、それぞれの店先にでてきて我々を見ている店主に、次々とどんぶりをわたし、《商売繁盛コール》を繰りかえしている。一番町かくは(ハイローザ)の前のスクランブル交差点で、また一段と寮生が勢いづく。往時はこの場所にて、旧制弘高生の街頭ストームが吹き荒れたところであろうと、マルヒは勝手に想像している。白銀町でカギの手に曲がると、もうそこはお城の玄関、追手門である。全寮生は、ここ追手門前で、いったん集合する。
 さくらまつり期間中の弘前城はすごい人出だ。夕暮れの時間帯、これから花見をする市民グループ、遠来の観光客、学生グループなどでごった返している。
 これから始まるのは各階対抗・本丸までのレースだ。ただし、参加者は新1年生だけ。弘前城は城としての遺構がしっかり残っているお城なので、ここ追手門から本丸まで。左右にびっしり設置された夜店とごったがえす人混みを縫ってGoogleマップによれば650メートル。ここまで寮から飲み続けてきて、ここが最後のとどめとなる。すでに、その頃本丸には、ゴール確認用の2年生が数人、待機しているはずだ。
 『いちについて、よーい、ドン!!』
 いっせいに、走り去っていくもの、もう勝負をあきらめてふらふら歩いているものもいる。

大観桜会

 本丸のなか、階ごとにあつまりまた出身だの芸だのをはじめる。5年間で5回参加した観桜会だが桜を見た覚えは一度もない。本丸の芝生はぷぅんと酒の匂いがして、そこかしこから歌だの三味線の音だのが聞こえてくる。
 北溟寮生は、そこら中に散っていく。すでに寮から持参した酒はない。現地調達をはかるのだ。学生のサークル以外はどこの輪でもたいてい和やかに迎えてくれる。酒でもつまみでも、かかえきれないくらいもらうことができるし、なかには『学生さんか。。』といいって現金をくれるおっさんまでいる。

 見ることはできなくても、イタモトの言葉によれば『桜の花は暴力的に咲いている。』

 宴の果てにはもちろん寮歌となるがこの時までに『死んでいる』寮生も数多い。脚はふらつくし、声もでない。
『ゆきをぉぉぉいただくぅぅぅ……』序章がはじまる。円陣になり肩を組み寮歌がはじまる。
 そのころ、上級生はお城全体を見て回りだす。倒れて行方不明になっている連中を探すためだ。追手門には何人かマグロのように横たえられている1年生もいる。リヤカーで寮まで運ぶのも一苦労だ。
《2001》

◆弘前城の桜はゴールデンウィークにほぼ見頃だったが近年は温暖化の影響だろうか、満開の時期はもっと早くなってるように思う。
◆天守閣のある本丸にはいるのに当時は入場料がいらなかった。だからレースもできたのだ。
◆三沢のベースから来ていた米軍兵士のグループと宴会したのも思い出だ。
◆5年の時だったか東奥義塾の高校生たちと小競り合いになったことがあった。おとなしい寮生が乱闘に参加せずイタモトがずいぶん嘆いたものだ。
◆マルヒが上級生になる頃にはリヤカーでなく、飲酒をしない運転手とクルマを用意して歩けなくなったものを寮まで運搬した。
◆亀甲門のほうにあったグランド脇には桜祭り期間中、当時ですら珍しかった見世物小屋やストリップ小屋、バイクショーなどが小屋掛けしていた。なんとなくいかがわしい雰囲気に寺山修司を連想したりした。
《2020/9/6》

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