第七夜 隣人

北鷹寮・朋寮

学園町

北溟寮のお隣さんといえば、職業訓練校とリンゴ畑。しかし今回の話はそうではない。同じ弘前大学にある寮の話だ。弘前大学にはわれらが北溟寮のほかに北鷹寮と朋寮という寮があった。このふたつは男子寮と女子寮なのだが、なんと同じ敷地内に立って食堂を共有しているという下手なラブコメの設定のような造りなのである。ふたつの寮がある地域は、北溟寮と同様で学校からは離れているものの、しかしそこには運動場やプール、職員宿舎など大学関連施設が集められていて学園町という《べた》な名前を持っていた。
 北鷹寮という名前はどこからきたのか私は知らない。弘前城は別名鷹岡城といい、その昔師範学校はお城の近辺にあったらしいので、師範の寮の名前かなにかに由来しているのかもしれない。朋寮というのはきっと戦後の命名だろう。

北鷹寮・朋寮に関する画像がありましぇん。上記の⑧が北鷹寮 ⑦が朋寮。①~⑤は付属の幼・小・中学校。⑨は職員宿舎 弘前大のHPより。

Which is the better of the two?

入試にどうやらこうやら合格すると学校から送られてくる書類の中に寮の案内がはいっていた。男子寮は北溟寮と北鷹寮。さてふたつの寮どっちがよかんべか?『ふむふむ、北溟寮の住所は緑が丘か、で北鷹寮と(女子寮の)朋寮はナニナニ?同じ住所?』

 というわけで北鷹寮への入寮志望者が多いのはうなずけるところではある(?)。
 国立大学の寮というものは厚生施設。よって入寮の基準は基本的に入寮志望者の経済状況により決定される。具体的にいうと、つまり保護者の年収の低い順に入寮を許可していくのである。
 その結果どんなことになるか?北鷹寮を志望した人がはみだして北溟寮に回されてくるという事態になるのだ。
 これを即ち《北鷹流れ》と称する。はいってみれば住めば都『北溟寮でよかった』と誰もが(?)思うようになるのだが、酔っぱらった時とかに勢いで、入寮の際北鷹寮を志望した者を揶揄して『なんでえ、このぉ、北鷹流れのくせに』とかいう。そんなこといってる当の本人が《北鷹流れ》だったりするから、なに、たいしたことはない。

 少なくとも私が在寮した5年間はなにかにつけて北溟寮と北鷹寮とでばちばちと火花を散らしていた。あるいはそれは78年組の私たちが入寮して以降かもしれない。その頃から北溟寮の寮自治会は、それまでの民青支配から脱却して、中核派・社会党協会派(社青同解放派でない。念のため)・第4インターなどに刺激されつつ、まあ、ノンセクト・少しだけ・ラジカル路線に変わっていったのだが、北鷹寮・朋寮ときたら相も変わらず民青にがっちり支配されている予定調和路線。当時のマルヒからすれば、彼ら・彼女らは、失礼ながら(政治のことは)自分の頭で考える事もできないノー天気な人たち、としか思えなかった。マルヒ周辺の一部北溟寮生はそれを《学園町路線》と呼んで嫌悪していたのだ。
 おまけに(ほんとうのところはどうかわからないが)、北鷹寮はなにかと上級生が幅をきかせている、いわゆる《体育会系》。しかもそれを《蛮カラ》と勘違いしてるのではないか、とマルヒは一方的に思っていた。この《体育会系》《蛮カラ》については、もう少し書きたいことがあるので、別項に記すことにする。

 政治路線を別にしても北鷹寮と北溟寮がやりあう場面は他にも多々あった。いまの時代の合コンとは似ても似つかないが、合コンなるものが男子寮と女子寮の間で行われることがあるし、弘大寮連(弘前大学寮自治会連合、かな?)とやらのイベントなどもそうだ。そんな時、所詮、朋寮の女の子を争って北溟寮側が勝つわけがなく、北溟寮生は北鷹寮生を半分以上やっかんでるのは間違いない。

Well, I would say…

 しかし…さりながら…私的に見解を述べれば、北溟寮が、あのとき、北溟寮という存在であってくれて本当によかった。これが《民青が自治会を支配している》AND/OR《旧制高校とはなんら縁もない》寮なんてマルヒにとっては面白くもなんともないではないか。寮に入らんがため地元の信州大学など受験しなかったんたぜ。(アア、デモ女子寮ガトナリニツイテイルノハスコシダケミリョクテキカモ…)

 5年のあいだ北溟寮にいたマルヒが北鷹寮の個室にまで足をふみいれたのはたったの1回だけ。北鷹寮生に知った顔はいても友人といえる寮生はほぼゼロであった。それほど極端かどうかは知らないが、程度の差はあれ、ほとんどの北溟寮生にとって北鷹寮の生活は伝聞でしかなかった。逆に北鷹寮生からみて北溟寮は未知の領域であったのかもしれない。

《2001》

◆青森県の師範学校は基本的に青森市にあったようだ。しかし太平洋戦争末期に青森市は激しい空襲を受け校舎は全焼。戦後すぐに弘前に移転した。場所は弘前城内の旧陸軍第八師団の跡地。ということで《北鷹》の名前が師範の寮に由来するという説は却下ですね。戦後の命名かなあ。北鷹寮の寮歌で『白明のうた』というのがあるそうで、その中には《北鷹》という字句が含まれているようです。
◆NHK BSの人気番組(?)《にっぼん縦断 こころ旅》2011年6月の放送で北鷹寮が目的地となった。マルヒはそのときカリフォルニアに住んでいたので見ることはできなかった。
 ダイジェスト動画 https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004420037_00000
こころ旅(2011/6/7)https://www.nhk.or.jp/kokorotabi/route/20110607/index.html
◆お手紙を書いた方はマルヒより10年くらい年下か。上記サイトの《手紙を読む▶》から彼の手紙を見ると当時の北鷹寮の様子がうかがえるが、やはりというか北溟寮とはずいぶん違う。『虚空に羽ばたき』が歌われているのは、まあ、よしとする(?)。
《2020/8/31》

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